創作ノート - 不思議な接着剤

執筆中の児童小説「不思議な接着剤」のためのノートです。 リンク、転載を禁じます。

タグ:ユダヤ戦記

昨日「カタリ派がヨハネ福音書を偏愛する理由がブラヴァツキー夫人の著作から解けた!」という派手なタイトルをつけた記事を公開したが、勘違いがあったので、非公開とした。

が、別の重大な発見(見落としというべきか)があり、記事にしておきたい。

新約聖書関係で、ヨハネは3人いる。バプテスマのヨハネ、使徒のヨハネ、福音記者のヨハネである。

バプテスマのヨハネと福音記者のヨハネを混同して読んでいたために、タイトルのような結論を出して舞い上がっていた。

ただ、ちゃんとした記事を書くためにじっくり読んでいくと、自分の勘違いにも気づいたが、重大なことがイエスに関して書かれた箇所に目が留まった。

話を戻せば、福音記者ヨハネと使徒ヨハネを同一人物とする説があるのだが、ブラヴァツキー夫人はH・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中で、「『ヨハネによる福音者』The Gospel according to Johnを書いた匿名のグノーシス主義者Gnostic」(ブラヴァツキー,老松,2010)という風に書いている。

匿名のグノーシス主義者。

『ヨハネによる福音書』は共観福音書と呼ばれる他の三福音書とは内容が異なり、それについてもブラヴァツキーは書いている。

『ヨハネ福音書』がグノーシス的とは一般にもいわれているところで、カタリ派がグノーシス的であったことから考えると、カタリ派が『ヨハネ福音書』を愛した理由もわかる気がするのだが、偏愛したほどの理由が結局のところわたしにはわからない。

初期キリスト教が存在した時代、あのあたり――ガリラヤ――は人種の坩堝で、人々は偶像崇拝に夢中だった。『Isis Unveild』にはその様子が目に見えるように書かれ、猥雑な儀式を行うバッカス崇拝がどんなものだったかなど、よく分析されている。

様々な資料から引用された複雑な記述の中から1本の流れを辿るのは骨が折れることだが、遠いあの時代に直に触れるような不思議な感覚をもたらされる歓びがある。

ナザレ派の改革者イエス――とブラヴァツキー夫人は呼び、イエスがエッセネ派に属していたことは間違いないが、厳密にはエッセネ派とはいえないと書く。

エッセネ派は油を汚れとみなし、清らかな水しか使わなかったが、イエスは油を使ったことからも「厳密」にはそういえないことがわかるという。ヨセフス『ユダヤ戦記』2巻8章3節……とここまで細かく典拠が示されているにも拘わらず、典拠も示さずに荒唐無稽な文章を書く人々は荒唐無稽だとブラヴァツキー夫人を非難する。

イエスは油を使ったことからも、イエスが「厳密」にはエッセネ派とはいえないことがわかると彼女はいうのである。

ここで引用が正しいかどうか調べてみた。幸い『ユダヤ戦記』は持っている。ヨセフス『ユダヤ戦記』2巻8章3節は、わたしが持っている邦訳版ではフラティウス・ヨセフス(秦剛平訳)『ユダヤ戦記 Ⅰ』(筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2002)に収録されている。

あった。確かに、2巻8章3節。「彼らは油を汚染させるものと見なし、もし人がうっかりしてかけられた場合、それを体から拭き落とさねばならない。というのも、彼らは肌を乾いた状態にさせており、そのためつねに白い衣をまとっているからである」(ヨセフス,秦,2002,p.277)

イエスが属したとされるエッセネ派について、ブラヴァツキー夫人は驚くほど様々なことを書いており、エッセネ派が死海のほとりに何千年にもわたって暮らしていたユダヤ人の一派で、グノーシス派であり、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であっという。彼らは仏教の伝道師たちの影響を受けたが、思想体系はむしろ崩れていった……

エッセネ派という集団は様々な思想的影響を受けながら、何千年もの歴史を生き抜いていたわけである。

パブテスマのヨハネの弟子たちは、意見の相違によりエッセネ派から分かれた分派だった。

当時のことに可能な限り言及され、分析は各派の起源へと遡り、そうするとエジプト、カルデア、インドが登場してくることになる。

今ほどあのころの古文書が発掘されていず、ネットもない時代に書かれたとはとても思えないほど、存在した資料をぎりぎりまで使えるだけ使って解説され、まるで最新の研究を読むかのようだ。

イエスの実像をブラヴァツキー夫人はグノーシス派のバルデサネス派の不当な(と彼女は書く)非難の中に見出している。偽のメシア、古代の宗教の破壊者で、仏教の信奉者であるという非難の中に。

グノーシス派に関するブラヴァツキーの記述は夥しい。グノーシス派といっても、ノート99で書いたように複雑である。

2016年02月11日
№99 キリスト教成立以前に東西に広く拡散していた仏教
https://etude-madeleine.blog.jp/archives/83940968.html

バルデサネス派に偽のメシア、古代の宗教の破壊者で、仏教の信奉者であるという不当な非難を浴びせられた宗派の一つにイエスは属しており、そのうちのどれであったかの特定は不可能に近いが、イエスが釈迦牟尼仏の哲学を説いたことは自ずと明らかであるとブラヴァツキー夫人は書く。

ここまではっきり断言するとなると、ブラヴァツキー夫人がキリスト教から叩かれるのも当然だ。仏教の教えを説くイエス……。今でこそ、ブラヴァツキー夫人のいったようなことがいわれ出したのだが。

しかし、もしこれが本当なら、正統キリスト教を主張したカタリ派が「西欧の仏教」といわれ、グノーシス福音文書中の白眉『マリアによる福音書』でマリアがイエスから教わったといって話し始めるその内容が驚くほど仏教的であったことの謎も解ける。

前述したパブテスマについても詳細な分析があり、そこからパウロの使徒行伝が重要な部分で改竄された可能性に触れている。

わたしはパウロが苦手だったが、改竄されているとなると、別のパウロ像が現れる可能性が高く、興味が湧く。

以下の本はおすすめだが、Amazonでは中古しかないようだ。図書館には置いてあるところも多いのではないだろうか。

マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒
カレン・L・キング(著), 山形 孝夫(翻訳), 新免 貢(翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2006/12/16)

ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端
エレーヌ ペイゲルス(著), 荒井 献(翻訳), 湯本 和子(翻訳)
出版社: 白水社; 新装版 (1996/06)

以下のサイトで『マグダラのマリアの福音書』がオリジナルな邦訳で紹介されている。

叡智の禁書図書館<情報と書評>
マグダラのマリアの福音書(訳)
http://library666.seesaa.net/article/29804099.html

ヨセフス『ユダヤ戦記』に出てくるエッセネびと。

イエスがエッセネびとの一員だったとして、しかもラビと呼ばれていたことを考えると、イエスは、またマグダラのマリアとの関係は、ひじょうに微妙なものとならずにはいられなかったと想像せざるをえない。

新約聖書の不思議さは、エッセネびとに原因の一つがありそうだ。
教師、律法学者、精神的指導者といわれるラビについてはあとで調べてノートしておきたいが、ラビは普通、結婚した人間であったとされる。成熟し、安定した人間像が想像できる。イエスは弟子たちからたびたびラビと呼ばれているので、彼が結婚していたとしても不思議ではない。

ラビになったあとでエッセネびととの関わりをイエスが強めたのだとすると、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』(秦剛平訳、ちくま学芸文庫、2002年)によれば、エッセネびとのあいだには結婚に対する蔑視があったようだから、仮にイエスが結婚していたとしても、結婚していないかのような振る舞いをせざるをえなかっただろう。

ヨセフスの記述には矛盾するところがあり、エッセネびとは誓いを避けるとあったかと思えば、自分たちの秘密は死に至る拷問を受けても漏らさないように誓うともあって、どちらが真なのかはわからないが、エッセネびとには独特のムードがあったようだ。エッセネびとについてのヨセフスの記述を読んだあとでは、イエスに付き纏う謎は、彼らエッセネびとの謎と融け合ってしまう。

ローマ帝国の圧力、ユダヤ文化の伝統と変革の波に揉まれて生きたに違いない人間イエス。

エッセネびとが「太陽が昇るのを祈願するかのように、それに向かって父祖伝来の祈りを捧げる」とあるのを読むと、カタリ派と太陽信仰を関連づける説を連想してしまう。
とにかく、このエッセネびととキリスト教とはいろいろな面で重なりを感じるところがあるので、エッセネびとの章を全文ノートしておきたいくらいだ。

また、ヨセフス『ユダヤ古代誌』(フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌ⅩⅩ』秦剛平訳、山本書店、1981年)から《大祭司制》についても全文ノートしておきたいが、結構長いので、始めのほうだけ以下に。大祭司制の起源はモーゼの時代で、世襲制であったことがわかる。
連綿とつづいてきた大祭司制について

(1)さて、わたしはこの『ユダヤ古代誌』において、大祭司制――それがどのようにして始まったか、だれがこの職務につきうるのか、また〔今次の〕戦争の終結までに何人の大祭司が数えられたか等々――について詳しい説明を行っておくことが必要なことであり、また適切なことであると思う。
 神のための大祭司の仕事を最初に行った人は、モーセースの兄弟アァローンであったと言われ、彼が亡くなった後その職務はただちに彼の息子たちに引きつがれ、以後、その子孫たちがもっぱら〔大祭司〕職を独占するようになったとされている。
 このような理由から、アァローンの血をひく者でなければ、何びとといえども神の大祭司職につくことはできないという伝統が生まれ、他の血統の者はたとえ王であっても、大祭司たることは許されないのである。 

ユダヤ戦記〈1〉 (ちくま学芸文庫)
フラウィウス ヨセフス  (著), Flavius Josephus (原著), 秦 剛平 (翻訳)
ISBN-10 : 4480086919
ISBN-13 : 978-4480086914
出版社 : 筑摩書房 (2002/2/1)

ユダヤ古代誌〈1〉旧約時代篇(1−4巻) (ちくま学芸文庫)
フラウィウス ヨセフス (著), Flavius Josephus (原著), 秦 剛平 (翻訳)
ISBN-10 : 4480085319
ISBN-13 : 978-4480085313
出版社 : 筑摩書房 (1999/10/1)

新たに資料として選んだヨセフスの『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』。本格的な読書は旅行後になるが、目が覚めてしまった夜中に、気になるところをざっとチェックしていた。以下はそのノート。

ユダヤの宗教哲学といっても、エッセネ派、パリサイ派、サドカイ派では全く違うではないか!

イエスはエッセネ派と関係があったといわれるが、なるほど、教団の規律面などはキリスト教とそっくりだ。殉教の仕方まで!

クレオパトラの戦略のことなど、拾い読みし出だしたら、とまらなくなる。

何だか、通信社からのニュースを読んでいるような感じだ。

ヨセフスはユダヤ戦争時の指揮官で、37年から100年頃の人だが、感覚が今の人みたいで当惑するくらい。

モーセが物語った創世記の紹介から始まる『ユダヤ古代誌』(秦剛平訳)。ヨセフスはモーセについて、以下のように書いている。

もちろん〔わたしたちの〕律法制定者は、ある種のことは懸命にも謎に伏せたままにしておいたし、またある種のことは荘重な寓意物語で説明を与えた。しかし彼が、率直平明に語るべきだと考えたときには、その語ったことの意味内容は、事理まことに明白であった。
ところで〔わたしたちの教義の〕仔細を〔さらに深く〕知ろうとする方に〔答えるためには〕、〔より〕高度な哲学的考察が必要だが、〔それは〕先の仕事にしておきたい。

何と、まともな感覚!

『ユダヤ戦記』の訳者はしがきに「西洋のキリスト教の歴史は『聖書』ばかりか『ヨセフスの著作』の誤用と濫用の歴史であったと考えられる」とあるが、同感。

自作童話『不思議な接着剤』を考えていたときに、洞窟に囚われた乙女とヨーロッパ中世風の町が頭に浮かんだ。

その乙女の顔を見たいばかりに、異端カタリ派→グノーシス→原始キリスト教→マグダラのマリアと辿った。

マグダラのマリアについてもっと知りたいばかりに、迷い込んだ森のさらなる深みへわたしは行こうとしている。

旅行後に、とりあえず、子供たちを洞窟に入れよう。

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