創作ノート - 不思議な接着剤

執筆中の児童小説「不思議な接着剤」のためのノートです。 リンク、転載を禁じます。

タグ:マリアによる福音書

涼しくなると、とたんに創作にエンジンがかかる。ようやく、最低限、この児童文学作品に必要なだけの体力が集まったという感じだ。

ちょうど、創作帳とは別に、頭に浮かんだことを何でも書き殴る『ほぼ日ペーパーズ』の新しいものを下ろした日と重なり、新鮮な気分。

だが、今日はストーリーをどんどん先へ進めるというわけにはいかなかった。細かな部分が気になり、その調べものに結構時間が費えてしまった。せっかちな操作で何度かパソコンが固まってしまったくらい、気が急いた。

子供たちが白ネコに誘われて向かう先は、マグダラのマリア、フランス語にするとマリー・マドレーヌがモデルである乙女が囚われた場所。正確にいえば、『マリアによる福音書』をイメージ化した女性ということになる。

『マリアによる福音書』には、東西の思想を一つにする鍵があるとわたしは考えている。

子供たちは鍾乳洞の部屋のようになった場所でおやつにするために、お菓子の箱を持って行くのだが、そのお菓子の詰め合わせの中にマドレーヌを潜ませておこうと思う。マドレーヌの賞味期限は1週間から2ヶ月とばらつきがある。

お菓子と瞳が持って行く綺麗なロウソクは、子供たちが文明圏から来たことの証明となるものだから、味が落ちたり、腐ったりしていてほしくない(わたしの好きなアンリ・シャンパンティエのは14日)。子供たちが中世風の世界に何日いることになるのか、まだはっきりさせていないが、当初予定していたよりも長い滞在となりそう。

翔太が携帯するライトのことでも迷った。ストラップ型のライトを瞳のリボンで首にぶらげるくらいなら、ネックライトにしたらいいではないかと思ったのだったが、人気のパナソニックのLED防滴ネックライトは2,270円(税込)で、翔太が小遣いで買うには高すぎる気がした。わたし、このネックライトほしい。優れものだそうだ。

ネックライトはメーカーにこだわらなければ、安いものもあるそうです。よくお気遣いくださる訪問者のお一人から教わりました。いつも、ありがとう

「不思議な接着剤」を執筆するなかで、自身の挑戦として最も興味深いことは、『マリアによる福音書』という衝撃的な文書をマリーという女性の姿に造形化しようとする試みだ。

造形化してみなければ、『不思議な接着剤』の本当の方向性はわからない。『マリアによる福音書』を自身に可能な限りの知力と情緒と霊感で読み、そこから立ち現われてくる女性の姿を写しとらなくてはならない。

結局のところ、そうやってみなければ、わたしには『マリアによる福音書』の性質と価値を判断できないのかもしれない。直観的に、『マリアによる福音書』が東西を一つとする思想的価値を持つものだと思ったが、本当にそうなのか、そうでないのか、女性の姿にしてみることで、はっきりさせたい。そんなことが可能であれば、の話であるが。

ここで、冒険前夜の最後のくだりを記しておくと、お昼に、兄弟が家に帰ると、母親はいず、居間のテーブルに、カップラーメンがふたつと、一枚の紙が置かれていた。紙には以下のメッセージ。

紘平、しょうたへ

わるいけれど、用事ができたので、でかけます。
お昼ごはんの用意をしている時間がないので、
カップめんを置いておきます。
紘平が、しょうたのも、作ってあげてね。
冷蔵庫に、ごまプリンがあるから、それも食べるといいわ。
門限は、まもること。


                      おかあさんより

母親が留守というのは、彼らには、都合のよいことに思われ、兄弟は、急いで食事を終え、瞳の家へ向かう。

 兄弟は、遠足に行くときのような身支度をして、家を出ました。瞳も、同じような身支度をととのえていました。

 3人は、ウインドブレーカーをはおり、リュックサックを背おっていました。

 さあ、冒険のはじまりです。

冒険前夜はここまで。 

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原始キリスト教について調べるときに必ず出てくるフィロン、フラウィウス・ヨセフス、また再度カバラについて、H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、昭和62年)の用語解説から以下に抜粋しておきたい。


カバラ(Kabbalah/kabbala,ヘブライ)

 「神聖な事と宇宙の発生に関する古代秘教に由来する、中世へブライのラビ達の隠れた智慧をいう。ユダヤ人のバビロン幽囚の後、そのような古代秘教の知識は神学にされた」。秘教に属する著作はみなカバラのものと言われる。

フィロン(Philo Judaeus)


ギリシアの教化を受けたアレクサンドリアのユダヤ人で、著名な歴史家であり、哲学者で、紀元前30年頃に生まれ、紀元後45~50年頃没した。フィロンが主張する聖書についての象徴主義は注目に値する。彼によると、聖書に出てくる動物、鳥、爬虫類、木、場所などはみな、「魂の状態、能力、気質、感情などの比喩である。有用植物は善徳の比喩であり、有害動物は賢明でない者の性質である。同じことが鉱物界を通じても言えるし、天、地、星についても、泉、川、野原、住み処についても、金属、物質、武器、衣服、装飾品、家具、身体とその部分、性、及び外部的状態に関しても同じである」(Smith and Wace『Dictionary of  Christian Biography』)。これはみな、フィロンが古代カバラに精通していたことを強く証明している。 

ヨセフス(Josephus Flavius)

西暦1世紀の歴史家。ギリシア的教化を受けたユダヤ人で、アレクサンドリアに住み、ローマで没した。エウセビオスは、キリストに関する有名な十六行詩を書いたのはヨセフスであるとしているが、これはおそらく教会神父の中でも名立たる偽造者のエウセビオス自身の手によるものであろう。熱烈なユダヤ人で、死ぬまでユダヤ教を信じていたヨセフスが、この詩ではキリストの救世主としての使命と、イエスの神聖な生まれを承認させられてしまっている。だが、現在、これはラードナー達を含むキリスト教の司教達やペイリー(その著書、『Evidence of Christianity』を見よ)によってさえも、本物ではないと断言されている。この詩は何世紀にもわたって、イエス・キリストのまことの実在性を証明する信頼度の高いものの一つと見なされていた。

ヨセフスについては、ウィキペディアより抜粋した以下も参照。

『ユダヤ古代誌』18巻63には「フラウィウス証言」と呼ばれるイエスに関する記述があることで有名であったが、現代では後代の加筆・挿入と考えられている。〔フラウィウス・ヨセフス. (2010, 6月 9). Wikipedia, . Retrieved 00:07, 7月 5, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%B9&oldid=32500429.

ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、イエスについて何も書かなかったにも拘らず、書いたことにされていたようだ。

マグダラのマリアは、いろいろな資料から推理するに、最低2人の子供と共に南フランスに渡ったことは確かだと思う。

『黄金伝説』の領主の妻にマリアの運命が重なっているように想われる――だとすると到着時には既に死亡していた――が、幽閉されていた可能性もある。

この辺りのところがはっきりしないと、洞窟のマリア像がもう一つ鮮明とならないのだ。それで、別の角度から光を当ててみようと、他に資料を漁ったりもしているのだが。

タロットで占っても始まるまいが、タロットが神秘主義者たちによって洗練されていったことを想えば、女教皇はマグダラのマリアと見ていいかもしれない。

イエスの磔刑が行われたのは、資産家の弟子の私有地で、あれは一種の儀式だったと見る解釈は捨てがたいが、『マリアによる福音書』を見る限りでは、イエスはやはり十字架上でかどうかはわからないが、あの頃に亡くなったのではあるまいか。

いろいろと調べてみても、もやもやしたものが付き纏う。

ざっと調べたい作家

  • ラ・フォンテーヌ
  • シャルル・ノディエ
  • ヴィクトル・ユゴー
  • ジャン・コクトー

『レンヌ=ル=シャトーの謎』に、意味深に出て来るから……。

『黄金伝説』《マグダラの聖女マリア》の章、『フランスにやって来たキリストの弟子たち』についての私的疑問

『黄金伝説』訳注に「十字架とどくろをもっていることもある(苦行の象徴)。」とあるが、苦行の象徴がどくろだなんて、信じられない。マグダラのマリアとどくろは、切り離せないところがあるようだ。なぜだろう? 

『黄金伝説』にも、『弟子たち』にも、異様としか想えない箇所がある。

サント=ボームの洞窟、「ここでマリアはつねに、俯せに、もしくは下腹を下にしてすごしていたといわれます。」
「マリーはたえず、泣いてすごしていたともされています。」
「一説に、マドレーヌは、ここへ登ってくる前、ヌヴォーヌの谷ですべての衣服を脱ぎ捨てて、もはや「恥じらいの覆い」は一枚もつけないでいられる状態になっていたとも伝えられます。」

マリーもマドレーヌもマグダラのマリアのことだが、まる裸でいられるのは狂った人か、もしかしたら悟った人もそうなのかもしれないが、いずれにせよ、そんな境地にある人間が30年間も洞窟でメソメソ泣いていられるとは、信じられない。

いつも俯せに?

こうした状態からわたしが連想するのは、愛を観想する人間ではなく、どこかが病気か、幽閉されているか、死んだ人間かだ。

『黄金伝説』にも、領主夫妻と子供に関して、異様な記述があちこちにある。

岩礁=岩の島に、子供が「よく浜辺に出ては、無心に砂や石遊びをしている」とあるような浜辺があるのは変で、その子供も3歳くらいかと思う描写のすぐあとで、母の乳房を吸っていたりする。

しかし、この子供は父が2年前に岩礁に置き去りにしたときも、「母の乳房をもとめては泣き叫んだ」のだ。

2年後のこととして描かれているのは、すぐあとのことではなかったのか? 岩礁ではないどこかの浜辺で遊んでいる子供のことは、何年もあとのことでは? 

岩礁には洞穴があり、そこに領主は妻の遺体を運んだとあるが、この洞穴はサント=ボームの洞窟と重なる。

もしかしたらマリアは死んだか病気になったか幽閉されたかで、子供を育てられなかったため、領主夫妻が引き取って育てたのでは?

というのも田辺先生の『弟子たち』に、勿論伝説として紹介されているのだが、

実は、マグダラは、イエスの妻であって、二人の間には少なくともひとり以上の子どもがあったといわれます。南フランスのユダヤ人共同体にまぎれこんでマグダラは子供を育て上げ、その子孫が5世紀には、北方から進出してきたフランク族の王族と結ばれて、メロヴィング朝(フランス最初の王朝)を創始したのだそうです。

とあるからで、あるいは砂浜で遊んでいる子供と母の乳房を求めた赤ん坊は別人なのかもしれない。

この岩礁(岩の島)の赤ん坊、浜辺の子供については、時間的な置換がなされているか、二人の子供に関する出来事を一つにしてしまっているとしか思えない。

マグダラのマリアたちは、何らかの犯罪に巻き込まれて海に流された。

もしかしたら、マリアと赤ん坊は亡くなってしまい、もう1人いた男の子を領主夫妻が引き取ったのかもしれない。

マリアも元気だったと思いたいが、『黄金伝説』に描かれた二つの船旅(マリア一行の船旅、領主夫妻の船旅)はどちらも嵐に襲われるのだ。これも、一つの船旅を二つに分けたからではないだろうか?

マリアの死を隠蔽するために、領主の妻の死を創出する必要上――。そうでなければ、なぜ伝説は領主の妻の死などを長々と描写するのだろう? そのあとで、復活までさせなくてはならなかった。また、その子供なども長々と描写するのだ。

漂着後に領主一家との関りがあった後は、マリアの名が出て来る話としては、次はもうサント=ボームの洞窟へ隠棲した話が来るだけだ。

マリアが南フランスで永く暮らし、精力的に宣教して隠棲したのだとしたら、隠棲前のもっといろいろな話が伝わっていてもよさそうなものではないか。

漂着後すぐに領主夫妻に子宝をさずけ、復活させた奇跡譚があるだけで、あとは洞窟で俯せになって30年間メソメソ……いや愛を観想していたという話にしかつながらないのは、どう考えても不自然だ。

第一、人に子宝をさずけ、復活させるほどのことができる聖女でありながら、洞窟に籠もる必要があるのだろうかと素朴な疑問がわいてしまう。

マリア一行が南フランスにペテロとは異なるキリスト教を広め、それが中世に異端カタリ派が発生するための土壌となったことは確かだろう。

その異端カタリ派は西欧の仏教といわれ、そのことは、『マリアによる福音書』で、マリアがイエスから個人的に教わったという内容とは響き合うものがある。

マグダラのマリアその人の運命がどんなものだったかは、「神のみぞ知る」だが。 

黄金伝説 1
ヤコブス・デ・ウォラギネ (著), 前田敬作 (著), 今村孝 (著)
出版社 : 平凡社 (2006/5/15)
ISBN-10 : 4256191054
ISBN-13 : 978-4256191057

今日中に図書館に返してしまいたいので(ヨセフスの『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』を借りるために)、中世に著わされた聖人伝説集『黄金伝説』にマグダラのマリアがどう描かれたか、メモしておきたい。
以下はヤコブス・デ・ウォラギネ『平凡社ライブラリー 578 黄金伝説 2』(前田敬作・山口裕訳、平凡社、2006年)の著者紹介から。

ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃―98)
ジェノヴァ近郊ヴァラッツェの生まれ。
ドミニコ会士。ロンバルディア管区長を経て、ジェノヴァ市第8代大司教(1292―98)。
神話文学としての聖人伝説は、カイサリアの司教エウセビオスの『教会史』(4世紀)を嚆矢とするが、多くの聖人伝作者の手によって、さまざまな異教伝承や土俗信仰を摂取しつつ、福者ヤコブス・デ・ウォラギネが集成した『黄金伝説』においてみごとに結実する。
中世において聖書とならび、もっともひろく読まれた書物として、キリスト教的ヨーロッパの教化に役立ち、造形芸術のもっとも重要な霊感の泉となった。
書名の〈黄金〉は同時代人が冠した美称。
他に『ジェノヴァ市年代記』(1297)、『説教集』、『マリア論』などが知られる。

以下は、前掲書「九一 マグダラの聖女マリア」から。

マリア(Maria)とは、〈苦い海〉を意味する。あるいは〈明るく照らすひと〉または〈明るく照らされたひと)という意味である。これによって、マリアが選んだ最良のものが三つあったことがわかる。すなわち、悔悛あるいは痛悔、内面の観想、天国の栄光の三つがそれである。

マリアが選んだ最良のもの――つまり、マリア特有の性格として挙げられた第一のものは、人口に膾炙したマグダラのマリア像――彼女は娼婦であったとされている――の反映といってよい。注目すべきは、第二の《内面の観想》だろう。

この《内面の観想》については、訳注がある。以下。

マグダラのマリアは、中世初期には観想生活の象徴とされた。『ルカ』10の39以下の記述から内省的観想的な性格と考えられたのであろう。悔悛者の模範と見なされるようになったのは、中世後期のことである。

これは驚くべきことである。瞑想者としてのマリア像が、娼婦像としてのマリア像に先んじているのだから。ここで、『マリアによる福音書』を思い出しておきたい。マリアがイエスの教えを語る場面で、彼女は次のように話し出す。以下は、岩波書店版『ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書』)からの抜粋。

「私は一つの幻のうちに主を見ました。そして私は彼に言いました。『主よ、あなたを今日、一つの幻のうちに見ました。彼は答えて私に言われました。『あなたは祝されたものだ、わたしを見ていても、動じないから。というのは叡知のあるその場所に宝があるのである。
 私は彼に言いました、『主よ、幻を見る人がそれを見ているのは、心魂〈か〉霊(か、どちらを)〈通して〉なのですか』。
 救い主は答えて言われました、『彼が見るのは、心魂を通してでもなければ、霊を通してでもなく、それら二つの真ん中に〔ある〕叡智、幻を見る〔もの〕はそ(の叡知)であり、そ(の叡知)こそが……

残念ながら、このマリアの会話には欠損が見られるのだが、マリアはここで瞑想の技法を語っているといってよい。後にパウロがイエス体験を、あなた任せ的、盲目的……神秘主義的にいってしまえば、霊媒的にしたのと比較すると、対照的である。

ブラヴァツキー夫人は人間の本質を七本質に分類する。アストラル体(肉体の原型。プラーナの媒体)、プラーナ(気。生命原理)、カーマ(欲望)、低級マナス(カーマ・マナス。低級自我)、高級マナス(ブッディ・マナス。高級自我)、ブッディ(霊的魂)、オーリック・エッグ。
マリアの話のなかで、イエスのいう叡知というのは、高級マナスのことではないかと思われる。

ブラヴァツキー夫人によると、カーマすなわち欲望を全て殺し、これを上向きの清浄な欲求に置きかえることができたら、七重の構成体が変容し、高級三つ組は浄化した低級マナスを受け入れて高級四つ組になるという。死すべき四つ組はカーマが消えるため、低級三つ組となる。これが解脱した人の様子だという。

ブラヴァツキー夫人は、高級本質で思考を行う人達は少数派といっているが、マリアは、高級本質で観想することの重要さを(おそらくは生前の)イエスから教わったのだろう。そして、マリアという女性は、教わる以前にそれを自ら行いうる優れた弟子だった。マリアの話から推測すると、生前のイエスはマリアに瞑想の指導を行っていたと考えられる。

ナグ・ハマディ文書が伝えるマリアのこうした志向性は、『黄金伝説』が伝える30年間の隠遁生活(場所は訳註によると、マルセイユ近郊にあるサント=ボームの洞窟)と響き合うものがあるだけでなく、中世初期には、彼女は観想生活の象徴とされていたというのだ。

教父たちの聖書解釈によって『ルカ』7の37以下の〈罪の女〉およびベタニアのマリアと同一視されるようになったためと考えられる。この間違った同一視は、伝説化の恰好の温床となり、10世紀イタリアでエジプトのマリアの伝説から借用した新しい伝承が成立、それがフランスに入り、12世紀プロヴァンス地方で痛悔(あるいは贖罪)する隠修女としての伝説が完成した。本章の物語は、上の同一視にこのプロヴァンスの伝説を結合したものである。……(略)……なお、このような伝説化は、西欧でのみおこなわれ、東方では、早くからイエスに随伴した婦人たちのひとりとして知られているだけである。

マグダラのマリアは、〈罪の女〉、ベタニアのマリア、エジプトのマリアと一緒くたにされてしまったようだ。
次に、マグダラのマリアの出自に関するものを『黄金伝説』から抜粋しておきたい。

マグダラのマリアは、〈マグダラ城〉とあだ名されていた。門地は、たいへんよかった。王族の出だったのである。父の名はシュロス、母はエウカリアといった。弟のラザロ、姉のマルタとともに、ゲネサレト湖から2マイルのところにあるマグダラ城とイェルサレム近郊のベタニア村と、さらにイェルサレム市に大きな地所を所有していた。しかし、全財産を3人で分けたので、マリアはマグダラを所有して、地名が名前ともなり、ラザロはイェルサレムを、マルタはベタニアを所有することになった。

マグダラのマリアは王族の出で、マグダラの領主だったという。彼女が、イエスの死後14年目に南フランスに船で漂着した経緯について、以下に抜粋。

われらの主がご昇天になり、ステパノがユダヤ教徒たちの石打ちによって殉教し、ほかの弟子たちがユダヤの地から追われたあと、主のご受難からかぞえて14年目、弟子たちは、さまざまな国に出かけていって、神の言葉を宣べ伝えていた。そのころ、主の72人の弟子たちのひとりの聖マクシミヌスは、使徒たちと行動をともにしていた。聖ペテロは、マグダラのマリアをこのマクシミヌスの手にゆだねた。ところで、弟子たちがちりぢりになったので、外道のやからは、聖マクシミヌス、マグダラのマリア、弟のラザロ、姉のマルタとその忠実な仕え女マルテイラ、生まれながら見えなかった眼を主に治してもらった聖ケドニウス、そのほか多くのキリスト信徒たちをいっしょに船に乗せ、海上につれだして、舵をとりあげ、ひとりのこらず海の藻くずにしようとした。しかし、神の思召しのおかげで、船は、マッシリア(マルセイユ)に漂着した。

ペテロがマグダラのマリアをマクシミヌスの手にゆだねた、とはどういうことだろう?  どうも、ペテロとパウロのすることには疑わしい言動が多い。訳注には、マクシミヌスと聖ケドニウスの名前は聖書にはないとあった。

また、『黄金伝説』で、長々と描かれるマリアとマルセイユの領主夫妻との間に起きる珍妙な出来事は、一体何だろう?

マグダラのマリアは領主夫妻に子宝をさずけたばかりか、岩の島で死ぬ運命だった子供――男の子だ――はマグダラのマリアに救われ、育てられる。二年間もである。一方では、マリアはマルセイユで説教するなど、宣教にも忙しかったようだが……。

マリアたちが漂着してすぐに子宝の話が始まるおかしさに加えて、一層おかしなことには、不自然なペテロの介入があるのだ。受け身の描かれかたではあるのだが、怪しい。

順序立てて紹介すると、偽神に子宝をさずかる願をかけようとしたマルセイユの領主は、マリアにとめられ、キリスト教の信仰を説かれた。領主は、マリアの信仰が真実であるか確かめたいといい出し、マリアはそれに対して、聖ペテロに会うようにと促す。領主は、マリアに男の子をさずけてくれたならそうするという。夫人はみごもる。

ペテロに会いに行くという領主に、身重の夫人は無理について行く。マリアはお守りの十字架をふたりの肩に縫いつける。一昼夜航海したとき、嵐に遭い、夫人は船の中で男児を産み落とした後で死ぬ。困った領主は、母の乳房を求めて泣く赤ん坊と亡骸を岩礁に置き去りにする。

ローマのペテロに会いにいった領主は、2年間をペテロと共に過ごす。帰途、赤ん坊と亡骸を置いた岩の島に寄ると、赤ん坊は愛くるしく育っていて、領主が妻のことをマグダラのマリアに祈るうちに、妻はまるで『眠れる森の美女』のように目を開ける。

この子宝物語は、マグダラのマリアの章のうちの1/3を占める。マリアたちが宣教するにあたって、領主の許可は必要だろうが、これはどう考えても不自然な話ではあるまいか。わたしは思わず、神功皇后の話を連想してしまったくらいだった。

こんな伝承も、イエスとマグダラのマリアの間に子供があったのではないかという憶測を呼ぶのだろう。万一そうであったとしたら、マリアたちが何者かによって海に流されたのは、イエスの死後、間もない時期であったということになる。

そして、マリアたちの乗った船は嵐に遭い、イエスの子供をみごもっていたマリアは船のなかで出産した。こう想像していくと、嫌でも、『レンヌ=ル=シャトーの謎』の著者たちがとり組んでいたイエスの血脈というテーマが思い出される。

イエスの一番弟子を自任していたペテロ。一方、グノーシス文書が伝えるマグダラのマリアは、イエスの一番弟子として愛されていた。
著者たちが推理したように、もしイエスが宗教の改革者としての側面だけでなく、王位継承権を持つ人物であったとしたら、どうだろう? マリアがイエスの子供をみごもっていたとしたら?

マリアが30年間も洞窟に隠棲したというのも、いささか不自然な話ではある。修行しながら宣教する道もあったはずだ。しかし、隠棲せざるをえなかったのだとしたら? 

つまり、流刑のような目に遭い、幽閉されていたのだとしたら? マリアが彼女の側にいたと想われる人々と海に流されたのは、まさにイエスの子供をみごもっていたからだとしたら? また、マリアが娼婦とされたのは、彼女のおなかの子をイエスの子と認めたくない者たちの喧伝によるものだとしたら?

『マリアによる福音書』におけるペテロとマリアの対立から見ても、イエスの死後、マリアは敵に等しい弟子仲間と行動を共にしていた。
仮に、マリアがイエスの子供をみごもり、そう主張したとしても、それを証明することはできなかっただろう。

マリアが冒涜者であり、風紀を乱すとんでもない女とされて、海に流されるということがあったとしても、おかしくはない。
いずれにしても、『黄金伝説』に描かれたマグダラのマリア伝説には、何かが隠されている気がする。わたしは童話を書くに当たって、洞窟に幽閉された乙女の姿が浮かんで仕方がなかった。そこから、こんな読書の森に迷い込むことになろうとは、想像もしなかった。

誰の子であれ、わたしには岩の島で育てられた男の子が忘れられなくなってしまった。ウォラギネの描写力のせいかもしれないが……。

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