創作ノート - 不思議な接着剤

執筆中の児童小説「不思議な接着剤」のためのノートです。 リンク、転載を禁じます。

カテゴリ: notes:不思議な接着剤51―60

 昨日までに書いた冒険前夜の部分を400字詰原稿用紙に換算してみたら、何とぴったり100枚。

 前夜だけで100枚。冒険はこれからだというのに、ほほほ……。太りすぎかしら。

 過去記事から名作の枚数調べと、プロットをおさらいしておこう。

№20 名作の枚数調べ

岩波少年文庫からわたしの好きな作品を拾って、400字詰原稿用紙換算で何枚の作品なのかを調べてみたい。

  • バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』(徳永康元訳、2001年)

9頁から始まっている。童話は挿絵が多いので、本文の枚数を探るためには、その分を除いたほうがよい。挿絵を、頁全体、2/3頁、半頁、1/3頁、1/4頁に分類して、頁数に直してみよう。

そうすると、『ほんとうの空色』の場合、

146頁-8頁=138頁。挿絵はだいたい15頁分だから、138頁-15頁=123頁

(123頁×36字×11行)÷400字≒121頁

『ほんとうの空色』は400字詰原稿用紙で121枚の作品だ。

以下、同じやりかたで調べてみる。

  • ジョージ・マクドナルド『かるいお姫さま』(脇明子、1995年)……142枚
  • エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』(上田真而子、2000年)……222枚
  • アストリッド・リンドグレーン『長靴下のピッピ』(大塚勇三訳、1990年)……262枚
  • アストリッド・リンドグレーン『ミオよ わたしのミオ』(大塚勇三訳、2001年)……318枚
  • アストリッド・リンドグレーン『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、2001年)……484枚

当初の予定では300枚だったが、もう少し長くなりそう。枚数は、あとでいくらでも調整が利く。過去の賞応募もこんなところでは役立ちそうで、減らすも増やすもお手の物!

 以下はプロット2番。冒険が本格化する前に、3番を書いておいたほうがいいだろう。 

№36 プロットⅡ〔Ⅰは非公開〕

  • 序……予定枚数80枚[20枚オーバー]
    子供たちが冒険に入るまで。現在時点で78枚。子供たちが冒険に何を持っていくかだが、あと2枚あれば書けそうだ。[ ⇒100枚になった。]
  • 破……予定枚数170枚
  1. 洞内へ……10枚
  2. 紘平が瞳の思いつきで、アルケミー株式会社製品のクッツケールを用い、倉庫の先に鍾乳洞をくっつける。白いネコに導かれ、子供たちは鍾乳洞に入る。天井近くの横穴から入った子供たちに明るく光っている岩が見える(竜のオーラだ)。足場の悪い地点での子供たちの助け合い。洞内の光景。白いネコを追う子供たち。
  3. 竜の来歴……30枚
    子供たちと牝の竜との出合い。恐竜時代、ここで生きるまでの経緯、竜を可愛がっていた錬金術師のことを竜の記憶として描く。
  4. .錬金術師の娘の来歴と街の歴史……60枚
    白ネコは錬金術の娘の飼いネコだった。子供たちと錬金術師の娘マリーの出会い。囚われているマリーの来歴。錬金術師の娘を見張る番人たちの四方山話として、モンセギュールの戦いが回想され、街の歴史が明らかになる。
  5. 翔太の喘息の発作……10枚
    錬金術師の娘による治療。
  6. .異端審問……60枚
    番人につかまる子供たち。子供たちはマリーの一味とされる。異端審問官との対決。翔太のピアノの泣き声は、子供たちとマリーが勝利するのに役立つ。
  • 急……予定枚数50枚
    鍾乳洞からの脱出。竜は飛翔する。マリーを乗せて。彼女をもっと安全な地に連れて行くために、聖獣となった輝かしい竜はエジプト南部に位置するナイル河畔の町ナグ・ハマディの方角へ向けて飛び立つ。子供たちの帰還。元いた世界の混乱と紘平による収拾。図書館に出かけた紘平たち父子を通して後日談。 ⇒ナグ・ハマディ文書には、マグダラのマリアが出てくる『トマスの福音書』『フィリポの福音書』『救い主の対話』が含まれるが、マリーのモデルとしたい「マリアによる福音書」の発見は、ナグ・ハマディ文書の発見より早い19世紀、カイロでのことだから〔※ベルリン写本〕、ここはエジプトの方角ということでいいだろう。

ここで、新たな問題が出てきた。

クライマックスで子供たちが巻き込まれる裁判沙汰を、異端審問、魔女裁判のどちらにするかだ。この二つの違いを調べるまで、わたしは過去のノートで、これらを混同してしまっていた。このどちらにするかを、はっきりさせておかなくてはならない。

どちらにするかで、作品の性格、時代までもが違ってくる。異端審問にすれば、囚われのマリーについては、自分の思想は本物だという確信を持った相当に知的な女性に設定しなくてはならなくなる。そうした部分は、なるべく彼女の表情や仕草のうちに潜ませるようにしなければならないが……。

児童文学であることを考えた上で、事態を簡略化し、スペクタル性を持たせるには魔女裁判のほうが都合がよく、作品に知的な性格を持たせようと思えば、問答に重きのかかる異端審問のほうがいいような気がする。異端審問にすると、わかりやすい書きかたをしたとしても、高学年以上でないと難しいだろう(下手をすれば、中学以上でないと、難しくなる)。

岩波少年文庫の作品を見てみると、政治思想にかなり踏み込んだバーネットの『消えた王子』は小学5・6年以上。十字軍の内部構造にまで踏み込んだ、生々しい描写があるテア・ベックマンの『ジーンズの少年十字軍』は中学以上となっている。

わたしは、本当のところ何を描きたいのか、何を描ききらなければ死んでも死にきれないと思うのか、ここに絞って、よく考えよう。何にしても、マリーに、『マリアによる福音書』の芳香をいくらかでも移さなければならないのだから、大変な仕事になりそう。

以下は、ウィキペディアより、「異端審問」から抜粋。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

異端審問. (2010, 6月 2). Wikipedia, . Retrieved 11:27, 7月 4, 2010 from https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F&oldid=32393234

異端審問(いたんしんもん、ラテン語: Inquisitio)とは中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つ(異端)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステム。異端審問を行う施設を「異端審問所」と呼ぶ。一口に異端審問といっても中世初期の異端審問、スペイン異端審問、ローマの異端審問の三つに分けることができ、それぞれが異なった時代背景と性格を持っている。

なお、魔女狩りは異端審問の形式を一部借用しているが、その性格(異端はキリスト教徒でありながら、誤っているとされた信仰を持っている者であるのに対し、魔女・魔術師(魔法使い)はそもそもキリストを信じないとされる人々であるため全く別種)や実施された地域・時代が異なっているため、異端審問とは別種のものと考えるのが適切である。

◇冒険前の三つの課題をクリア

 まだ子供たちは冒険を前に、お預けを食っている。何をぐずくずしていたかというと、メモ帳に殴り書きした部分を清書しているうちに、三つの課題が浮上してきたのだった。その処理に手間どっていたというわけだ。

  1. 瞳にロウソクを持って行かせるための動機。
  2. アルケミーボンド株式会社(追記:アルケミー化学工業株式会社に変更2014/07/09)と瞳の父親を関係づけるための伏線。
  3. 瞳の父親のカラーを出す。

1.

 瞳にロウソクを持って行かせたいと思ったが、児童文学作品が火遊びの誘いとなってはいけないので、瞳がなぜロウソクを持って行く気になったかの動機を丁寧に描いておく必要があった。

 これが思い浮かばなかったのだ。ようやく思いついて書いた箇所が以下。

 瞳は、誕生日やクリスマスに家でともす、いろいろな美しいロウソクも、小さな箱入りのマッチといっしょに、持っていくことにしました。

 火遊びがいけないことはわかっていましたので、ライトが使えない場合のピンチヒッターとして。停電のときに、瞳のおかあさんがいつもそうするように。

 台風が接近するという情報が流れると、お店にある非常用ライトは、あっというまに、売りきれてしまいます。また、お店と家はべっこになっていましたから、瞳のおかあさんは、普通の家に住んでいる人間としての用心をおこたらなかったのでした。

 瞳のおかあさんについていうと、おかあさんは電器店にお嫁にきましたが、育ったのは普通の家でした。そして、その家のある町というのが、よく台風がきて、よく停電になる町だったのです。

 この文章を、続編のための伏線として使いたい意図もあった。瞳の父親はアルケミーグループと関係があるが、母親のほうは普通の人、という設定をここで盛り込めた。アルケミーグループというのは、時空を超えて商売の手を拡げている太陽系を代表する企業連合の一つ。アルケミーボンド株式会社(⇒アルケミー化学工業株式会社)はその一員。

 瞳が持って行った美しい意匠のロウソク。蜜蝋のロウソクは、中世ヨーロッパでは貴重で、教会か儀式のときしか使用されなかった。瞳のロウソクは、子供たちが身を守るための財産(交換、取引の品)となるもので、彼らが文明圏(先進国)から来た使節との確信を、(悪徳裁判官が転勤したあとに来た)2人目の良心的な裁判官に抱かせる。その前段階の出来事として子供たちのライトは、鍾乳洞の中で電池切れになってしまう。

2. 

 以下。

「郊外の電器店なんかじゃ、高価なものがコードでつながれていたりするけれど、ここのは違うんだね」
と、紘平がいいました。

 すると、瞳は、軽く笑って答えました。
「そう、うちの商品は、ぜーんぶ放し飼いよ。うちは小さな電器店で、お客さんも少ないでしょ。必要ないのよ、そんなものは」

 瞳の両親が経営する電器店は、お客からの予約注文で成り立っていました。お客のなかには、遠方から電話をかけてくる人もいました。国際電話をかけてくる人だって、いました。

 じつは、瞳の家の――電器店――の倉庫は、アルケミーグループという企業連合によって生産された製品の宝庫だったのです。しかし、そのくわしいお話となると、長くなるので、また別の機会に、ということにいたしましょう。

3.

以下。

「これなんか、すごいや。連続120時間だなんて、まる5日間、ともしっぱなしにできるってことだよ。しかも、1,480円とは、うれしい値段だね」

 紘平がいうと、瞳は電器店の娘らしい、うんちくをかたむけました。
「それは、LEDライトよ。白熱灯や蛍光灯とは違って、発熱せずに光を発するの。だから、消費電力が低くて、CO2の排出削減につながるため、地球にやさしいあかりということになるわ。ロウソク、電球、蛍光灯に続く、第四代あかりとして注目されているのよ」

 ところで、瞳のおとうさんはちょっと変わった人でしたが、おとうさんはよく、瞳にいうのでした。
「第五代あかりとして注目されるべきは、オーラだよ。この世界は遅れている」

 オーラというのは、生き物や物体から出ている、通常、人間には見えない放射物のことでした。それは、エネルギーの場をつくり出しているということです。

 瞳は、おとうさんのその言葉を思い出しましたが、LEDの説明をつけくわえただけでした。
「LEDは、電気を流すと発光する半導体(はんどうたい)の一種で、発光ダイオードとも呼ばれているわ」

 瞳が薀蓄を傾けすぎる気もするが、神秘主義者である瞳の父親のカラーをここで出すために必要だった。オーラの説明も、どの程度するかに迷いが生じる。

 オーラの説明は瞳の父親のカラーを出すためだけではなく、竜のためにも必要だ。鍾乳洞の闇を、竜はエメラルドグリーンの光で輝かせる。その光の色合いは、物語の終局で乳白色に輝くものとなり、竜が聖獣となったことを証し立てる。こうした光の正体はオーラなのだ。

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◇カバラと瞑想、パウロの誤解。

№57のノートで、カバラの起源がエッセネびとに遡る可能性について書いたが、箱崎総一『カバラ  ユダヤ神秘思想の系譜  *改訂新版 』(1988年、青土社)頁180以降、盲人イサクの章を読むと、カバラと瞑想が密接な関係にあることがわかる。フィロンによると、エッセネびとは瞑想を実行していた。

185頁

「盲人イサクのカバラ思想の手稿断片にはしばしば神秘的な光と色彩についての叙述が認められる。」

 これはオーラに関する記述だ。

「盲人イサクのカバラ思想は瞑想と深いかかわりを持っていた。彼は(精神的緊張)を伴った瞑想を特に重視している。さらに各種の瞑想のタイプにはそれぞれの祈りが必要であり、その祈りはセフィロトの系統に従って完全に構成されたものでなければならないと考えた。」
 瞑想には緊張を伴っていなければ、霊媒(憑依)体質にレベル・ダウンすることになりかねない。下手な瞑想は危険で、むしろ行わないほうがよいと、もうお亡くなりになったわたしの神智学の先生はおっしゃった。

 この盲人イサクは13世紀当時のナルボンヌ市周辺のカバラ思想研究の中心人物である。この時期ナルボンヌはユダヤ文化の最盛期を迎えていた。

イサクは『創造の書』についての註解を手稿の形で遺し、『輝きの書(バヒール)』の著者でもあるといわれているが、この点についての確証はないとのこと。

391頁以降

 遡ってパリサイ派、フィロンの創世記・アダムとエバの創造に関する解釈。パウロの誤解。この辺りは抜書きしておく必要あり。

 以下は、『カバラ』からアダム・カドモン説のアウトライン。

 アダム・カドモンは一般に“原始の人”と訳されているが、アダムはヘブライ語で人間の意味であり、カドモンまたはカドモニは「第一」または「原初」の意味である。アダム・カドモン説にはグノーシス思想の立場からの解釈とユダヤ教神学からの影響が混合した形で認められ、さらにその背景にはオリエント神学やギリシャ哲学からの影響も認められる。

 アダム・カドモンについて最初に記述したのは、エッセネびとについて書いたフィロンだった。古代ユダヤの思想化集団パリサイ派の見解に関する部分を、以下に抜粋。 

 パリサイ派では女性エバの創造に関してアダムははじめ男性・結合体として創られていたと思考した。

 “男と女に創造された”(創世記1・27)

 の部分は、“男性と女性とを創造した”と理解し、『創世記』2・22で記述された時点において、はじめて男性と女性は分離されたと解釈した。パリサイ派の解釈はフィロンにも影響を与ぼしており、天の人間が両性具有の存在であると規定した背景にはこのパリサイ派の思想がひそんでいると推定される。

 パウロの誤解に関する部分を、前掲の『カバラ』より以下に抜粋。

 このパウロの見解によれば、人間の存在は二つの形式よりなる。つまり、神はこの霊的な世界の中に天のアダムを創造し、地上のアダムを土くれから創りあげて物質的世界に生きるものとした。そこでこのパウロ神学には大きな矛盾が内包されることになる。だがこの矛盾はユダヤ教の聖書註解によれば直ちに氷解する性質のものであった。

 ユダヤ教の聖書註解によれば、救世主とは第一のアダムのことである。これは世界の創造先立って存在していた原始の人間・天の人間である。さらに、第二のアダムは創造によって身体的外見を与えられた存在であり、その点から第一のアダムの後身ともいえる。

 パウロの誤解はその点にあった。つまり、パウロはフィロンの抱いたアダム・カドモンの概念には忠実に依存せず、中心概念において食い違いを発生させている。フィロンにおいては最初の人間はイデアの具現したものであり、パウロにおいてはイエス・キリストの人格そのものであった。フィロンによれば、最初の人間は第一の人間と同一の存在であり、パウロにおいては最初の人間と第二のアダムとは同一視されている。

 アダム・カドモン説は、マニ教に採用され、グノーシス思想ではアダムと最初の人間は同一視されていた。

 カバラについて以下に抜粋し、復習しておこう。

 広義の意味でカバラという場合は、第二神殿期以降の総てのユダヤ神秘思想を含むことになる。カバラはその内容の豊かさのために神秘思想そのものと同義的に扱われることが多い。

 カバラには二つの潮流がある。神知論系(Theosophy)と神秘論系(Esotherism)である。前者は瞑想によって身体的恍惚感を体験し、そのなかで神秘的体験と洞察を得ようとするもので、後者は瞑想と伝承による口伝『秘儀の書』などの知識を通じて神の本質と神秘の根源に関する理解に到達しようとするものである。

 神知論系のカバラ思想の大系である『光輝の書(ゾハル)』。『光輝の書』に関して、以下に抜粋。

 人間の創造に関して、天の人間のイメージは宇宙のイメージそのものと対比されると『光輝の書』では考えられた。そこにはプラトンやフィロンが抱いた、人間は小宇宙であり、自然界は大宇宙であるとする考え方が内臓されている。

 もはや自作童話の舞台作りのための下調べをしているのだか、神智学の研究をしているのか、自分でもわからなくなってきた。

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◇異端審問と魔女裁判

 異端審問と魔女裁判については、地域により時代によりまちまちであるため、捉えにくいところがあるが、もう少し丁寧に見ておく必要がある。

 以下は上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社学術文庫、1998年)からのノート。 
「魔女裁判が本格化するのは、12世紀以降の異端審問が漸く鎮静化した15世紀からであるといわれる。ヨーロッパの魔女裁判は、異端審問を経ずしては成り立たない。魔女裁判は異端審問の延長上に生まれた。
 異端審問以前、つまり11世紀までは、教会による民衆信仰の取り締まりは、教会への贖罪という形で行われていた。1000年頃を転機として初めて異端に対する処刑が登場する。異端審問から魔女裁判へ移行した数世紀のあいだに、教会側の行政管理のあり方に大きな変化が起り、教会ヒエラルキーが確立して異端集団に対する教会裁判所が整序された。」 

教会裁判所の管轄権の拡大。

「異端審問を実行するには、手続きを正当化しなければならない。そのためグレゴリウス9世は、審問官にドミニコ会修道士やフランチェスコ会修道士を任命するとともに、異端審問の手続きを布告した(1231年)。」

「13世紀に始まる異端審問が、15世紀から17世紀にかけて荒れ狂った魔女迫害の水先案内人の役割を果たしたことは間違いない。異端審問が、北イタリア、南フランス、バイエルンにかけてのヴァルド派、カタリ派、シュテディンガー・フリーゼンの一揆に対する残党狩りでもあったことから、異端審問は南欧を中心に展開した。そして、13世紀の異端審問の段階で、夜間飛行、狂宴、姿体の変容など、キリスト教によって定型化された魔女が異端とつながった。そこには異端審問と魔女裁判の境界は見られない。ただ、異端審問では、裁かれる被告が反キリストに限定されている点が違うのである。」

「南フランスの場合、異端審問が教皇庁の下で厳格に遂行されていたのに対して、魔女裁判の指揮は世俗権力の高等法院にあった。北イタリアでも教皇の異端審問が多かったのに対して、魔女裁判が教皇指揮下にあることは比較的少ない。
 ところがドイツのような北方に移行するにつれて、教皇権指揮下の裁判所の力は弱く、影響力は小さくなる。ゲルマン本来の異教の呪術師の摘発にもとづく魔女裁判では、異端弾圧の性格は弱い。しかも、フランスの高等法院のような統一世俗裁判所が確立していないので、ドイツでは宗教裁判所と世俗の領邦裁判官とが入り乱れていた。」

2010年6月 9日 (水)
Notes:不思議な接着剤 #58 モデルに決定!
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/06/post-d800.html

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今朝の朝日新聞によると、福井県立恐竜博物館は8日、勝山市の白亜紀前期の地層で発掘した大型草食恐竜の化石が新種とわかり、「日本産の福井巨人」を意味する「フクイティタン・ニッポネンシス」との学名をつけた、と発表したそうです。

まるで、わたしの童話の子供たちを出迎えに来てくれたみたいだわ。

フクイティタンは、「長い首や尾を持つ四足歩行の『竜脚類』のうちブラキオサウルスなどと同じティタノサウルス形類」だそうで、わたしの作品に出て来る恐竜のモデルにぴったり!

ああ、なんて素敵なんでしょ。もうラブラブなの。愛しのフクイティタン……!


つながった! イエスは、エッセネびと(ヨセフスの記述)と考えられている秘儀的クムラン宗団と関係があったに違いない。なぜなら、エッセネびとは白い服を着ていたことが特徴的で、イエスの墓にいたのは白い服を着た人だったから。

何とカバラ神秘思想の起源は彼らだったかもしれないのだ。そして、そのなかの中心人物こそ、正統なユダヤ王の復権と思想の刷新を目指したイエスだったのだとしたら……!

フィロンの記述によると、彼らはヨガそっくりの瞑想法を実行していたらしい。マグダラのマリアがイエスから教わったのは、それだったに違いない。イエスの観点からすれば、マリアだけが、弟子たちのなかで、それを伝授される段階に達していたのだろう。そのことが、ペテロたちの嫉妬を買ったのだ。

内部抗争によるものか政治亡命なのか、他の理由によるものかはわからないが、何にしても、ぼろ船に乗せられたマリアたちは嵐に遭いながらも南フランスに漂着した。そのときマリアが生きていたのかどうかもわからないが、彼ら一行はマリアがイエスから教わった秘儀的な教えを南フランスに広めようとしたに違いない。後にその地で活発に布教したカタリ派が西欧の仏教と呼ばれたことを考えると、まるで地下水脈が流れているかのように一本の糸でつながるものがあるではないか!

もう少し、丁寧に見ておこう。

イエスはしばしばラビと呼ばれた。

ラビについて調べていたら、昔読んだ箱崎総一著『カバラ ユダヤ神秘思想の系譜』(青土社、1988年)に、わかりやすく書かれていた。若いときに丹念に読んだ形跡があるが、当時は消化できなかった。今これを読むと、ユダヤ文化の精華に関しての理解を深めることができるばかりか、新約聖書の謎に光を当てることが可能となる。

以下は、ラビという称号の由来から、『マリアによる福音書』でマグダラのマリアがイエスから受けたという教えを連想させるフィロンの記述までを含む、そこからのノート。

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カバラ―ユダヤ神秘思想の系譜

箱崎 総一 (著)
ISBN-10 : 4791758390
ISBN-13 : 978-4791758395
出版社 : 青土社 (2000/9/1)

13世紀ごろスペイン在住のユダヤ人たちによって集大成された『光輝の書(ゾハル)』。現存するカバラ思想関係の資料としては最も完璧なものだという。

ユダヤ人には二つの大きなグループがある。

  • アシュケナジム……東欧系ユダヤ人。ドイツ語とヘブライ語の混合したイデッシュ語を用いる。
  • セファルディム……スペイン・ポルトガル系ユダヤ人で、現在北アフリカ、地中海地方、オランダ、英国などに住む。古典的ヘブライ語の他、スペイン語化したヘブライ語ラディノなどを用いる。

タルムード(3世紀~5世紀に成立。旧約聖書モーゼの五書に関する註解書。ミシュナを基本とする)

  • パレスチナ・タルムード
  • バビロニヤ・タルムード(現在使用されている)

ユダヤ学院

  • パレスチナ地方のティベリアス、セホリス、カエサリアの各都市
  • バビロニア地方のネハルディア、スーラ、プンペディタの各都市

「これらの学院における研究目的はミシュナの文章の意味を論考し、簡潔な表現とすること、旧約聖書の原典との照合作業、現実に発生した事件例に関して律法がどのように適用されうるかの判例研究、さらに新しい原則の設立のための研究などが含まれていた。そして、これらの研究を担当した学者たちは、ゲマラあるいはアモラと呼ばれることになったのである。パレスチナ地方におけるアモラにはその称号として“ラビ”が、バビロニア地方では“ラブ”あるいは“マル”という称号が与えられた。」

哲学者フィロン[前20頃-40頃]

「フィロンの著作集は、その大部分が流暢なギリシア語で書かれ、その思想的背景はユダヤ教であった。彼が学んだとされるストア学派からの影響も色濃く認められる。フィロンの思想は現代ユダヤ教においては承認されていない。その理由として考えられることは、ユダヤ教パリサイ派ではギリシャ哲学が排斥されていたからであろう。〔略〕フィロンの著作集は初期キリスト教会において広く読まれ、教父達によって現在まで手厚く保存されることになり、このため後世フイロンをキリスト教者と誤認することが多くなった。
 フィロンの著作集は旧約聖書『モーゼの五書』に関する評釈書という形式を採用して記述され、質疑問答の形をとっている。フイロンの解釈は常に聖書の章句を寓意[アレゴリー]として解釈する傾向を示している。ことにこの傾向は『比喩の原義』において顕著であり、『創世記』における最初の人間アダム(原始の人間[アダム・カドモン])は、フィロンにおいては人間の霊魂が発達する象徴と考えられている。これらの象徴的解釈方法が後世のユダヤ神秘思想体系カバラに濃厚な影響を与えることになる。」

「フィロンがアレクサンドリアで活躍していた頃、パレスチナ地方死海のほとりに禁欲的な瞑想的生活を続けている一群のユダヤ人たちがいた。〔略〕現代の研究者は彼らを“クムラン宗団”または“死海宗団”と命名している。
 『死海の書』に関する研究が進むにつれて新たに脚光を浴びてきた事実があった。死海宗団はユダヤ神秘思想とくにカバラ思想の原型とも見なすことのできる神的霊知に関するかなり発達した秘儀体系をもっていたことが判明した。〔略〕
 こうした秘儀宗団が共通して抱いていたユダヤ神秘思想の背景には、さらに古代ギリシャで発達した神秘思想との関連も認められる。とくにネオ・ピタゴラス学派からの影響が濃厚であるこの学派は、今日では数学者として知られているピタゴラスに端を発する神秘主義教団であった。平面幾何学におけるピタゴラスの定理(三平方の定理)の発見者ピタゴラスは、紀元前6世紀の人物である。
 ピタゴラスによれば数は万物の根本であり、原型である。この基本数の関係にしたがって宇宙は秩序ある体系として創りあげられた。“限りあるもの”は奇数で、“限りなきもの”は偶数であるとされ、このニ種類の数によって宇宙は構成される。数的調和関係は天体運動にも、和音を発生させる琴の弦の長さにも存在すると考えられた。
 ネオ・ピタゴラス学派では、数学は霊魂浄化手段と見なされた。魂を鎮める音楽と、普遍的真理を探求する数学研究を通じて、霊魂の不滅と輪廻思想・死後の応報思想が解明されるものとされ、それが彼らの宗教信条となった。同学派の数的象徴はつぎのようなものである。天体数は神聖数である10、霊魂の数は6、結婚は5、正義は4、などと規定された。この発想形式は前述したフィロンの数的象徴にも認められ、後世のカバラ神秘思想のゲマトリアのなかに更に発達した形で組みこまれていくことになる。
 フィロンの記述による瞑想的生活および死海宗団の禁欲的瞑想生活の実際はどんなものであったろうか。それはユダヤ神秘思想家の間で師伝の形をとって数千年来連綿と継承されてきたものだが、具体的瞑想手段については現在でも極めて厳重な秘密のベールにつつまれている。さらに口伝の形をとっているために文書化された文献も存在しない。わずかな資料を総合してみると、秘儀実行の際には聖歌が合唱され精神の集中度が高められてゆく。意識の焦点を頭と膝の中間部分に集中させながら瞑想をつづけていくことで、めくるめく恍惚感によって全身がとらえられるという。〔略〕」

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カタリ派が壊滅させられた時期に、カバラ思想の代表的な著作が完成した。何ということだろう。谷あり、山ありだ。神秘主義という観点から見れば、中世のヨーロッパは新陳代謝の盛んな時代だったといえる。

もし本当にイエスがエッセネ派(クムラン宗団)と関係があったのだとすれば、キリスト教は形骸だけを守ってきたことになる。肝心の秘儀を運ぶ使者はマグダラのマリアこそであったのに、彼女は極めて不当な扱いを受けてきたのだから。

マグダラのマリアは、真の意味合いにおいて、東西を結ぶ平和の使者と成り得た人物であったに違いない。しかし彼女はおそらく、豚に真珠を投げるというあやまちを犯したのだ。

自作童話『不思議な接着剤』のなかで、洞窟に囚われたマリーの姿が今度こそ見えた。紘平、翔太、瞳……と一緒にわたしもいよいよ洞窟へ入ることになる。

ヨセフス『ユダヤ戦記』に出てくるエッセネびと。

イエスがエッセネびとの一員だったとして、しかもラビと呼ばれていたことを考えると、イエスは、またマグダラのマリアとの関係は、ひじょうに微妙なものとならずにはいられなかったと想像せざるをえない。

新約聖書の不思議さは、エッセネびとに原因の一つがありそうだ。
教師、律法学者、精神的指導者といわれるラビについてはあとで調べてノートしておきたいが、ラビは普通、結婚した人間であったとされる。成熟し、安定した人間像が想像できる。イエスは弟子たちからたびたびラビと呼ばれているので、彼が結婚していたとしても不思議ではない。

ラビになったあとでエッセネびととの関わりをイエスが強めたのだとすると、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』(秦剛平訳、ちくま学芸文庫、2002年)によれば、エッセネびとのあいだには結婚に対する蔑視があったようだから、仮にイエスが結婚していたとしても、結婚していないかのような振る舞いをせざるをえなかっただろう。

ヨセフスの記述には矛盾するところがあり、エッセネびとは誓いを避けるとあったかと思えば、自分たちの秘密は死に至る拷問を受けても漏らさないように誓うともあって、どちらが真なのかはわからないが、エッセネびとには独特のムードがあったようだ。エッセネびとについてのヨセフスの記述を読んだあとでは、イエスに付き纏う謎は、彼らエッセネびとの謎と融け合ってしまう。

ローマ帝国の圧力、ユダヤ文化の伝統と変革の波に揉まれて生きたに違いない人間イエス。

エッセネびとが「太陽が昇るのを祈願するかのように、それに向かって父祖伝来の祈りを捧げる」とあるのを読むと、カタリ派と太陽信仰を関連づける説を連想してしまう。
とにかく、このエッセネびととキリスト教とはいろいろな面で重なりを感じるところがあるので、エッセネびとの章を全文ノートしておきたいくらいだ。

また、ヨセフス『ユダヤ古代誌』(フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌ⅩⅩ』秦剛平訳、山本書店、1981年)から《大祭司制》についても全文ノートしておきたいが、結構長いので、始めのほうだけ以下に。大祭司制の起源はモーゼの時代で、世襲制であったことがわかる。
連綿とつづいてきた大祭司制について

(1)さて、わたしはこの『ユダヤ古代誌』において、大祭司制――それがどのようにして始まったか、だれがこの職務につきうるのか、また〔今次の〕戦争の終結までに何人の大祭司が数えられたか等々――について詳しい説明を行っておくことが必要なことであり、また適切なことであると思う。
 神のための大祭司の仕事を最初に行った人は、モーセースの兄弟アァローンであったと言われ、彼が亡くなった後その職務はただちに彼の息子たちに引きつがれ、以後、その子孫たちがもっぱら〔大祭司〕職を独占するようになったとされている。
 このような理由から、アァローンの血をひく者でなければ、何びとといえども神の大祭司職につくことはできないという伝統が生まれ、他の血統の者はたとえ王であっても、大祭司たることは許されないのである。 

マグダラのマリアは、いろいろな資料から推理するに、最低2人の子供と共に南フランスに渡ったことは確かだと思う。

『黄金伝説』の領主の妻にマリアの運命が重なっているように想われる――だとすると到着時には既に死亡していた――が、幽閉されていた可能性もある。

この辺りのところがはっきりしないと、洞窟のマリア像がもう一つ鮮明とならないのだ。それで、別の角度から光を当ててみようと、他に資料を漁ったりもしているのだが。

タロットで占っても始まるまいが、タロットが神秘主義者たちによって洗練されていったことを想えば、女教皇はマグダラのマリアと見ていいかもしれない。

イエスの磔刑が行われたのは、資産家の弟子の私有地で、あれは一種の儀式だったと見る解釈は捨てがたいが、『マリアによる福音書』を見る限りでは、イエスはやはり十字架上でかどうかはわからないが、あの頃に亡くなったのではあるまいか。

いろいろと調べてみても、もやもやしたものが付き纏う。

ユダヤ戦記〈1〉 (ちくま学芸文庫)
フラウィウス ヨセフス  (著), Flavius Josephus (原著), 秦 剛平 (翻訳)
ISBN-10 : 4480086919
ISBN-13 : 978-4480086914
出版社 : 筑摩書房 (2002/2/1)

ユダヤ古代誌〈1〉旧約時代篇(1−4巻) (ちくま学芸文庫)
フラウィウス ヨセフス (著), Flavius Josephus (原著), 秦 剛平 (翻訳)
ISBN-10 : 4480085319
ISBN-13 : 978-4480085313
出版社 : 筑摩書房 (1999/10/1)

新たに資料として選んだヨセフスの『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』。本格的な読書は旅行後になるが、目が覚めてしまった夜中に、気になるところをざっとチェックしていた。以下はそのノート。

ユダヤの宗教哲学といっても、エッセネ派、パリサイ派、サドカイ派では全く違うではないか!

イエスはエッセネ派と関係があったといわれるが、なるほど、教団の規律面などはキリスト教とそっくりだ。殉教の仕方まで!

クレオパトラの戦略のことなど、拾い読みし出だしたら、とまらなくなる。

何だか、通信社からのニュースを読んでいるような感じだ。

ヨセフスはユダヤ戦争時の指揮官で、37年から100年頃の人だが、感覚が今の人みたいで当惑するくらい。

モーセが物語った創世記の紹介から始まる『ユダヤ古代誌』(秦剛平訳)。ヨセフスはモーセについて、以下のように書いている。

もちろん〔わたしたちの〕律法制定者は、ある種のことは懸命にも謎に伏せたままにしておいたし、またある種のことは荘重な寓意物語で説明を与えた。しかし彼が、率直平明に語るべきだと考えたときには、その語ったことの意味内容は、事理まことに明白であった。
ところで〔わたしたちの教義の〕仔細を〔さらに深く〕知ろうとする方に〔答えるためには〕、〔より〕高度な哲学的考察が必要だが、〔それは〕先の仕事にしておきたい。

何と、まともな感覚!

『ユダヤ戦記』の訳者はしがきに「西洋のキリスト教の歴史は『聖書』ばかりか『ヨセフスの著作』の誤用と濫用の歴史であったと考えられる」とあるが、同感。

自作童話『不思議な接着剤』を考えていたときに、洞窟に囚われた乙女とヨーロッパ中世風の町が頭に浮かんだ。

その乙女の顔を見たいばかりに、異端カタリ派→グノーシス→原始キリスト教→マグダラのマリアと辿った。

マグダラのマリアについてもっと知りたいばかりに、迷い込んだ森のさらなる深みへわたしは行こうとしている。

旅行後に、とりあえず、子供たちを洞窟に入れよう。

私事だが、大学時代、わたしは聖書に読み耽り、数々の疑問を覚えた。イエスの奇跡譚に関しては、神秘主義的な文献――ヨガを含む――を同時に沢山読んでいて、ヨギたちの起こす奇跡譚のほうがむしろ凄いくらいだったから、イエス奇跡譚が御伽噺であったのか、事実であったのかの検証は必要だろうが、確定できることでもないだろうと思い、それに関しては立ち止まることなく、通り過ぎた。〔参考までに⇒№34

神秘主義では、奇跡は(秘教)科学技術の熟達、あるいは乱用にすぎないものとされており、厳密にいえば、神秘主義の辞書に奇跡という言葉はない。全ては科学的現象だとされている。

わたしが新約聖書を読んで理解に苦しんだのは、もっとさりげないが、意識に引っかかる記述が随所にあるという点だった。

そもそもイエスの出自について、四福音書にはばらつきがある。

マタイでは、ダビデ王の子孫という王家の血筋。マルコでは出自についての記述はないが、イエスは大工で、マリアの子、またヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟とある。ルカでは、マリアの夫ヨセフがダビデ家とその血筋に属していたとある(イエスは処女マリアから生まれたことになっている)。ヨハネでは、出自についての記述はない。

他に、引っかかる記述を思いつくままに挙げると……。

熱心党のシモン[マルコ福音書。以下、福音書を略]。熱心党とは?

カナの婚礼で、イエスの母はお節介にもワインの心配をして、その補充のために奇跡を起こせとまでいう[ヨハネ]。誰の婚礼なのか。

繰り返し強調されるメシア、油注がれた者。ラビ。ユダヤ人の王。神の子。

非常に高価な純粋のナルドの香油をイエスの足に塗り、髪で拭くといったマリアという女性の行動は、一体何だろう? なぜイエスは、そのマリア、マルタ、ラザロといった兄弟を愛していたのか? イエスの愛した弟子とは誰か?[ヨハネ]

バラバとは? イエスの十字架を背負わされたシモンとは? 

マルコにおける、墓にいた真っ白な長い衣の若者は、天使にしては実体がありすぎるし、ルカでは明らかに人となっている。しかし、マタイでは主の使い、ヨハネでは天使となっている。まばゆいばかりの衣と描写されたルカを除けば、白い衣をまとっているところが共通しているこの存在は、果たして人間か天使か? 人間だとすれば、イエスと密接な関りがあるはずだ。

イエスの遺体を引き取った、富豪アリマタヤのヨセフ。十字架刑のあった場所に園があり、新しい墓まであったという[ヨハネ]が、そこは遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフと関係のある場所か? 

新約聖書には説明不足の断片が、無造作に散らかされているように感じられたのだった。

当時、ユダヤの秘教哲学であるカバラにも触れたため、わたしには難しすぎてわからなかったにせよ、それが非常に高度で洗練された哲学体系であるということはわかり、このような輝かしいまでの哲学体系を生んだ民族から、みずみずしい、わかりやすい言葉で深みのある哲学を語るイエスが出て来たのもわかる、と頷けた。

その目で新約聖書を読むと、ユダヤ人がひどく戯画化されているように感じられた。ユダヤの民は混乱した愚かな人々で、ローマは支配するべく支配しているといった風に読めたのだ。ダビデ王、ソロモン王なども、伝説としか想えない雰囲気がある。

当時――30年も前だ――は、『ル=レンヌ=シャトーの謎』のように、イエスの生きた時代のパレスチナについて、詳細を語ってくれた著書を見つけることはできなかった。また、1世紀に書かれた、イエスと同時代の記述を含むユダヤ人の歴史を描いた壮大な『ユダヤ古代誌』、ユダヤとローマ帝国の戦争を詳述した『ユダヤ戦記』も知らなかった。

『ル=レンヌ=シャトーの謎』によれば、わたしが引っかかったカナの婚礼は多くの情報を秘めているらしい。

まず注目すべきは、イエスが母にいわれて水をワインに変えた量で、それがボトルにすると、どれくらいの本数になるかということだ。

それは、石の水がめが6つで、1つが2~3メトレテス入り。ヨハネの註に、2~3メトレテス=80~120リットルとある。ということは、480~720リットル。

600リットルはボトルにすると800本になるそうだ。それほどまでに大量のワインが、追加分として客たちにふるまわれたというわけなのだ。この話をすると、娘が「わぁ、ワイン製造業者みたい」といった。

そこからだけ見ても、カナの婚礼が大規模のもので、高貴な家柄か貴族階級の贅沢な儀式であることを表しており、そこにイエスと彼の母が出席していたことから、彼らも同じ階級の人間と考えられるという。日本では町ぐるみのイベント以外考えられないため、昔読んだとき、わたしにはこの場面の聖母マリアから、炊き出しのおばさんが連想されて仕方がなかった。

 カナの婚礼はイエス自身の結婚式だったのではないか、と前掲書はいう。そうであれば、聖母マリアがワインの心配をするのもわかるわけである。《そう推理する根拠として、ヨハネからの引用あり。今は時間がないので、抜粋をのちほど挿入します。》

福音書のなかでイエスはしばしばラビと呼ばれるが、このことからも、彼がラビ教育を受けられる階級に属していたことがわかるだけでなく、イエスがラビであったとすると、そこからは別の重要な情報が引き出せるらしい。

ラビは結婚した男でないとなれなかった(ユダヤのミシュナー法)。

ラビが結婚しているのは当然なので、あえて福音書が既婚の事実に触れなかったともいえることになる。独身でありながら伝道するということのほうが当時のユダヤ社会では異常なことで、もしそうであれば、むしろ彼の独身について明記してあったに違いないという説も成り立つわけなのだ。

イエスが結婚していたとすると、その相手はマグダラのマリア以外には考えられない〔Notesの過去記事参照〕。以下はイエスに関する前掲書からの抜粋。

イエスがマグダラと結婚していたならば、その結婚にはなにか特定の目的があったのだろうか。つまり、普通の結婚以外になにか重要な意味があったのだろうか。王朝的なつながりや、政治的な意味合いや影響があったのだろうか。この結婚によって続く家系が、「王家の血筋」を完全に保証したのだろうか。
マタイ福音書には、イエスはソロモン王やダビデの直系で、純粋の王家の血筋を引く人物であると明確に述べられている。これが本当ならば、イエスは統一パレスチナの正統継承者、しかも唯一の正当な継承者と主張することができる。そして、イエスの十字架の銘[INRI、つまり「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」]は単なる残虐や嘲笑のためではなく、まさに「ユダヤ人の王」を意味している。イエスの地位は、さまざまな面で1745年のボニー・チャーリー王子の立場とよく似たものであった。つまり、イエスこそがユダヤの国と人を束ねられる祭司王の資格をもつ人物で、この資格のために敵対者のヘロデやローマにとって深刻な脅威と考えられたのだろう。

イエスがそうした人物であったとすれば、マグダラも同じ階級の人間であったと考えるほうが自然で、伝説では、彼女は王家の血筋といわれ、別の伝説ではベニヤミン族の出身ということになっているらしい。

ベニヤミン族からは、イスラエル最初の王サウルが出た。王位は、ユダ族のダビデに奪われた。以下は前掲書からの抜粋。

ここまでくると、政治的な匂いのする一貫した歴史的な筋書が浮かび上がってくる。イエスは正統の王位継承権をもつダビデ直系の祭司王であった。彼は象徴的に重要な意味をもつ王朝間の結婚によってその地位を確固たるものにした。イエスは国の安定を保つため、土地を統一し、自分を支える人民を動員し、敵対者を追いだし、下賎な傀儡王を退位させることで、ソロモン王の栄光に満ちた君主制を復活させようと考えた。このような人物こそ、まさに「ユダヤ人の王」である。

昔、福音書を読んだときに、あまりにも預言と結びつけた言葉が多いことに驚いた。イエスは預言を演出し、預言のいうメシアであろうとすることに全身全霊を傾けていると感じられたのだ。

その悲願の強さに打たれ、わたしは当時、『入京』という下手な詩を作ったほどだった。

そのように、イエスとユダヤ教、ユダヤ民族との結びつきは異常なくらいに強いように見えるのだが、一方でキリスト教は、イエスを彼本来の願いと民族的伝統から、極力引き剥がそうとしてきたようにしか想えなかった。

イエスがローマ化、大衆化されたことは明らかで、それによって表面的なグローバル化は可能となったのかもしれないが、損なわれたものも大きかったのではないだろうか。死海文書、『マリヤによる福音書』、ナグ・ハマディ文書などは、そうした過程で闇に葬られようとした記録といえるだろう。

損なわれることがなければ、東西を分裂させずに済む本当のグローバリゼーションが可能となったのかもしれなかった。否、それは今からでも遅くはないのではないだろうか? 

わたしの疑問は『ル=レンヌ=シャトーの謎』の著者たちが抱いた疑問の一部に当たっていて、彼らはそれらについて丹念に調査している。

例えば、白い服だが、エッセネ派はイエス当時の聖地では珍しい白い服を着ていたそうだ。白い麻の衣服は重要な儀式を意味していたという。そうだとすれば、イエスとエッセネ派にはつながりがあることがわかる。

メモになるが、前掲書によると、イエスの愛した弟子とはラザロ。バラバとはイエスの子ではないかという推理。イエスの十字架刑が行われた場所はローマ管理下の公開処刑場ではなく、アリマタヤのヨセフの私有地だった。十字架につけられた人物がイエスであったという通説に対して、前掲書では疑問を呈している。

《これから外出の予定で、今日のところは時間切れです。このあと、『ル=レンヌ=シャトーの謎』からイエスが生きた時代のパレスチナについて抜粋し、聖母子像についての私的疑問を書くつもりでしたが、記事を改めることにします。この記事も、まだ書きかけと思ってください。》

マダムN 2010年4月15日 (木) 16:15

『不思議な接着剤』の主要な登場人物を挙げると、

  • 紘平・翔太の兄弟
  • 幼馴染の瞳
  • 洞窟に囚われている錬金術師の娘。

他に、登場人物の中で、2人の異端審問官のモデルは動かしがたいものとして決定している。

錬金術師の娘のモデルとして、初期にモデルとして設定していた――わたしが詩人と呼んでいる、修道女を育成する学校で精神を病んだ過去を持つ――女友達が呼び水(?)となったかのように、ナンとマグダラのマリアが浮上してきた。

瞳のモデルについては、過去ノートに詳しく書いている。

2007年11月29日

№2 物語 1.瞳のモデル
https://etude-madeleine.blog.jp/archives/9067523.html

電器店のシーンでは、まず、幼馴染の瞳をクローズアップさせよう。そして、紘平は彼女に、接着剤の秘密を話してしまう。

紘平にとって瞳はそのような、信頼に足る人物であることは確かだ。冒険に入る前に、瞳に関しては肉づけをかなり行っておきたい。

実は、瞳にはモデルがあった。と過去形になるのは、話の進行と共に紘平に肉づけがなされるにつれ、彼と行動を共にするのは、彼女(モデル)ではないということがはっきりするようになった。

むしろ、紘平と行動を共にするのは、ヒトミちゃんではなく、マチコちゃんだろう。

冒険は大変なものとなりそうなので、初めに考えていたヒトミちゃんがモデルでは、優しく、おっとりしすぎていて、ストーリーが進行しそうにない。恐るべき邪悪な竜に紘平と立ち向かうにも、役不足だ。

紘平は男の子にしてはおっとりしていて、ヒトミちゃんと同じタイプなのだ。ヒトミちゃんは、サバイバル向きではない。紘平もサバイバル向きではないのだが、仕方がない。

不向きであろうがなかろうが、彼には、冒険に入って貰わなくてはならないのだ。この冒険は彼自身が招いたことなのだから。

新たなモデルとなりそうなマチコちゃんは、一緒にピアノを習っていた利発な子で、母子家庭のひとりっ子だった。

小学校のうちに転校してしまったが、彼女と文通を続けていた人の話では、マチコちゃんは女医さんになったということだった。ちなみにヒトミちゃんは、初恋の人とめでたく結婚して、夫婦でお店をしている。

このお話を思いついたときに、瞳は早いうちにわたしの意識に浮上したキャラだった。ポニーテールの女の子が繰り返し、意識に現われるのだ。

だが、イメージはぼやけていた。そしてわたしは、そのイメージを、ポニーテールにしていたヒトミちゃんに重ねてしまったわけだが、それがお話をストップさせた大きな原因だったと思う。  

ポニーテールの子は何とマチコちゃんだったのだ。彼女もポニーテールにしていた。とても可愛らしい子だった。ヒトミちゃんも可愛らしい子だったが、明らかにタイプが違う。

でも、ヒトミちゃんが最初に出てきてくれなければ、電器店でのシーンが思いつけなかっただろう。長い長い停滞だったが、今では意味のある停滞だったと思える。

ちなみに、この瞳には、ときどき子供時代の娘もオーバーラップすることがある。邪悪に初期設定していた竜のキャラはすっかり変り、むしろ聖獣となった。しかし、洞窟に入り込んだ中世風の世界は、当初考えていたよりも遥かに危険な世界となった。

翔太のモデルとしては、息子他、わたしが知っていた複数の男の子が交錯する(現在は皆成人している)。

紘平のモデルだけが決まらなかったのだ。イメージには割合しっかりしたものがあって、話を進めるぶんには困らなかったのだが、心許なさがあった。

それが、急に、その紘平のイメージのなかから、今日、お話の続きを書いている最中に、ある人物が浮上したのだった。 

その人物とは、現在かかっている循環器クリニックのドクター!

ユニークなキャラだとは感じていたが、なるほど、紘平にはぴったりのキャラかもしれない。先生は優秀なかただが、どことなくおっとりとした、屈託ないところがおあり。

この場面で紘平はどう考えるのだろう、といったようなときに、小学校高学年だった頃の先生だったら、どうお考えになっただろう、と考えることになりそう。

瞳のモデルは、女医さんになったマチコちゃんで、先生もこれまた、小児喘息にもめげずにドクターになったかた。

幼馴染のモデルに設定するには、ある意味、似た者同士ということになり、ちょっとめりはりに欠けるかもしれないが、危険の待ち構えている洞窟に入るには、よいコンビという気もする。ナンにしても、ドクターがモデルとして勝手に(?)浮上してこられたのだから、仕方がない。

尤も、紘平は現時点ではアナウンサーになりたいと思っていて、いずれにしてもドクターにはならないだろう。

モデルに設定したとはいっても、まあ全てが、あくまでわたしの想像にすぎないわけだが、人物が金太郎飴みたいになってしまわない工夫として、モデルはやはり必要なのだ。

この自作童話でわたしが作家になれて、先生とテレビ出演できたらいいですね。なにせ、よくわたしに作家になってね、とか、一緒にテレビ出演したい、などとおっしゃいますので。
 ⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/01/post-ba5e.html

心電図は通常の心電図の他に、手首と足首だけの長めの心電図もとられました。「うん、基本形は崩れていない」と満足そうに先生。 そして、正面にはわたしの心レントゲンの写真がライトアップされたまま、先生はおしゃべりに夢中。
何でも、主婦作家がテレビに出ていたそうで、「頑張ってねー、Nさん。Nさんが作家になってテレビに出るときは、僕も一緒に出して貰うから。その賞をとった女の人はね、すごく痩せた、ごく普通の女の人だったよ。それで作家なんだそうだ。Nさんにはぜひ、頑張って作家になって貰いたいなあ」と、何やら興奮気味の先生ですが、そういう場合は、先生は先生でも、主治医とではなく、恩師とテレビ出演するのが一般的なのではないでしょうか?

作家になる基礎づくりの一貫として、これからも治療のほう、よろしくお願いします(まさかこのブログをご覧になったりということはないと思うが、一応ご挨拶)。


ざっと調べたい作家

  • ラ・フォンテーヌ
  • シャルル・ノディエ
  • ヴィクトル・ユゴー
  • ジャン・コクトー

『レンヌ=ル=シャトーの謎』に、意味深に出て来るから……。

『黄金伝説』《マグダラの聖女マリア》の章、『フランスにやって来たキリストの弟子たち』についての私的疑問

『黄金伝説』訳注に「十字架とどくろをもっていることもある(苦行の象徴)。」とあるが、苦行の象徴がどくろだなんて、信じられない。マグダラのマリアとどくろは、切り離せないところがあるようだ。なぜだろう? 

『黄金伝説』にも、『弟子たち』にも、異様としか想えない箇所がある。

サント=ボームの洞窟、「ここでマリアはつねに、俯せに、もしくは下腹を下にしてすごしていたといわれます。」
「マリーはたえず、泣いてすごしていたともされています。」
「一説に、マドレーヌは、ここへ登ってくる前、ヌヴォーヌの谷ですべての衣服を脱ぎ捨てて、もはや「恥じらいの覆い」は一枚もつけないでいられる状態になっていたとも伝えられます。」

マリーもマドレーヌもマグダラのマリアのことだが、まる裸でいられるのは狂った人か、もしかしたら悟った人もそうなのかもしれないが、いずれにせよ、そんな境地にある人間が30年間も洞窟でメソメソ泣いていられるとは、信じられない。

いつも俯せに?

こうした状態からわたしが連想するのは、愛を観想する人間ではなく、どこかが病気か、幽閉されているか、死んだ人間かだ。

『黄金伝説』にも、領主夫妻と子供に関して、異様な記述があちこちにある。

岩礁=岩の島に、子供が「よく浜辺に出ては、無心に砂や石遊びをしている」とあるような浜辺があるのは変で、その子供も3歳くらいかと思う描写のすぐあとで、母の乳房を吸っていたりする。

しかし、この子供は父が2年前に岩礁に置き去りにしたときも、「母の乳房をもとめては泣き叫んだ」のだ。

2年後のこととして描かれているのは、すぐあとのことではなかったのか? 岩礁ではないどこかの浜辺で遊んでいる子供のことは、何年もあとのことでは? 

岩礁には洞穴があり、そこに領主は妻の遺体を運んだとあるが、この洞穴はサント=ボームの洞窟と重なる。

もしかしたらマリアは死んだか病気になったか幽閉されたかで、子供を育てられなかったため、領主夫妻が引き取って育てたのでは?

というのも田辺先生の『弟子たち』に、勿論伝説として紹介されているのだが、

実は、マグダラは、イエスの妻であって、二人の間には少なくともひとり以上の子どもがあったといわれます。南フランスのユダヤ人共同体にまぎれこんでマグダラは子供を育て上げ、その子孫が5世紀には、北方から進出してきたフランク族の王族と結ばれて、メロヴィング朝(フランス最初の王朝)を創始したのだそうです。

とあるからで、あるいは砂浜で遊んでいる子供と母の乳房を求めた赤ん坊は別人なのかもしれない。

この岩礁(岩の島)の赤ん坊、浜辺の子供については、時間的な置換がなされているか、二人の子供に関する出来事を一つにしてしまっているとしか思えない。

マグダラのマリアたちは、何らかの犯罪に巻き込まれて海に流された。

もしかしたら、マリアと赤ん坊は亡くなってしまい、もう1人いた男の子を領主夫妻が引き取ったのかもしれない。

マリアも元気だったと思いたいが、『黄金伝説』に描かれた二つの船旅(マリア一行の船旅、領主夫妻の船旅)はどちらも嵐に襲われるのだ。これも、一つの船旅を二つに分けたからではないだろうか?

マリアの死を隠蔽するために、領主の妻の死を創出する必要上――。そうでなければ、なぜ伝説は領主の妻の死などを長々と描写するのだろう? そのあとで、復活までさせなくてはならなかった。また、その子供なども長々と描写するのだ。

漂着後に領主一家との関りがあった後は、マリアの名が出て来る話としては、次はもうサント=ボームの洞窟へ隠棲した話が来るだけだ。

マリアが南フランスで永く暮らし、精力的に宣教して隠棲したのだとしたら、隠棲前のもっといろいろな話が伝わっていてもよさそうなものではないか。

漂着後すぐに領主夫妻に子宝をさずけ、復活させた奇跡譚があるだけで、あとは洞窟で俯せになって30年間メソメソ……いや愛を観想していたという話にしかつながらないのは、どう考えても不自然だ。

第一、人に子宝をさずけ、復活させるほどのことができる聖女でありながら、洞窟に籠もる必要があるのだろうかと素朴な疑問がわいてしまう。

マリア一行が南フランスにペテロとは異なるキリスト教を広め、それが中世に異端カタリ派が発生するための土壌となったことは確かだろう。

その異端カタリ派は西欧の仏教といわれ、そのことは、『マリアによる福音書』で、マリアがイエスから個人的に教わったという内容とは響き合うものがある。

マグダラのマリアその人の運命がどんなものだったかは、「神のみぞ知る」だが。 

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