創作ノート - 不思議な接着剤

執筆中の児童小説「不思議な接着剤」のためのノートです。 リンク、転載を禁じます。

カテゴリ: notes:不思議な接着剤11―20

 恐竜展を観に行ったり、秋芳洞を取材したりしたことで、自作童話『不思議な接着剤』のストーリーが変わってしまった。当初は250枚の予定だったが、枚数が増えそうだ。

 序破急のうち、序の出来ている部分だけで78枚。だいたいこれで80枚。急は50枚くらい。真ん中の破は短くても170~200枚にはなるだろう。

 鍾乳洞での子供たちのこと、竜の来歴、錬金術師の父子の来歴を語り、子供たちのうちの一人翔太の喘息の発作、また鍾乳洞の向こう側に広がる街の景観、時代背景、人々の様子を描き、魔女裁判をクライマックスとしなければならないのだ。

 170枚として300枚か。ちょうどよい枚数のような気もする

 ここで、岩波少年文庫からわたしの好きな作品を拾って、400字詰原稿用紙換算で何枚の作品なのかを調べてみたい。

●バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』(徳永康元訳、2001年)
 9頁から始まっている。童話は挿絵が多いので、本文の枚数を探るためには、その分を除いたほうがよい。挿絵を、頁全体、2/3頁、半頁、1/3頁、1/4頁に分類して、頁数に直してみよう。
 そうすると、『ほんとうの空色』の場合、
146頁-8頁=138頁。挿絵はだいたい15頁分だから、138頁-15頁=123頁
(123頁×36字×11行)÷400字≒121頁
 『ほんとうの空色』は400字詰原稿用紙で121枚の作品だ。

 以下、同じやりかたで調べてみる。

●ジョージ・マクドナルド『かるいお姫さま』(脇明子、1995年)……142枚
●エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』(上田真而子、2000年)……222枚
●アストリッド・リンドグレーン『長靴下のピッピ』(大塚勇三訳、1990年)……262枚
●アストリッド・リンドグレーン『ミオよ わたしのミオ』(大塚勇三訳、2001年)……318枚
●アストリッド・リンドグレーン『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、2001年)……484枚

 わたしの作品は『ミオよ わたしのミオよ』くらいの枚数に仕上がると見ていいだろう。


“「あれは何だろう? すごく明るいよ。大きな岩だ。岩が光っているんだ。何てきれいな光なのだろう。あの岩があれば、懐中電灯なんか、いらないね。あれ? 見えなくなった。光る岩が……」”

 子供たちは洞内に入ってすぐに(そこは横穴で、洞内を遠くまで見通せる高い場所だから)、竜を見つけるが、巨大な岩だと思う。写真のような岩が美しい、やわらかな光を放っていたのだ。

 竜の光が見えなくなってからは、白いネコが道案内をするかのように現れる。錬金術師の娘が飼っていたネコだった。

 冒険に入る前に、瞳。

“「だって、紘平くん。遊びといっても、洞窟は本物なのでしょう? 本物の洞窟の入口が、この倉庫の通路の先に、くっつくわけよね? だったら、わたしたち、 用意ばんたん、ととのえなくてはならないわ。何があるか、わからないと思って。すぐに、もどるつもりでもね」

 幸い、瞳の家は電器店でした。”

 以下は、基幹ブログ「マダムNの覚書」から引用する断片。

“婦人たちが着たドレスを、形を変えるとはいえ僧侶が着る……? この感覚が、わたしにはわからないのだ。その残されたわずかなドレスのうち2点が展示されていたが、いずれもドレスはカーテン生地のような、重たげに見える布で作られている。色が褪せていたために、よけいにカーテンのように見えたのかもしれない。”

 これはマリア・テレジア( 1717―1780)の時代の話。


 もし錬金術師の娘が竜に食べられてしまえば、娘は人間であって、魔女ではなかったという無意味な証明になった。しかし、10日経っても生きているようであれば、悪魔のしもべである竜と結託している魔女とみなされて火あぶりにされることになる。

 このようにして連れてこられた人々のほとんどが火あぶりにされたか、逃亡を企てて洞内のどこかで遭難した。なかには、竜を見たショックで心臓麻痺を起こした者もあった。竜は植物食で、苔を嘗めて生きているだけだから、人間を食べない。

 子供たちは錬金術師の娘と竜を助けようとするが、見つかってしまう

 裁判で、子供たちは、自分たちが錬金術師の娘に食べられるために捕まったのではなく(※子供を捕らえて食べるという魔女像がある)、洞内に入り込んだよそ者であること、また竜が聖獣であると証明しなければならなくなる。裁判官のモデルは、勿論彼。権力づく、職務怠慢の彼以外にありえない。容貌もぴったりだ。白い鬘も似合いそう。

 翔太のピアノの音をした泣き声が役に立つ。

 瞳は、怖いと思いながらも人々の衣服、装飾品などに興味を持つ。

 東西いずれも古い時代は様式の時代だということを忘れずに、儀式ずくめの雰囲気が出せたらと思う。

 竜は、苔を嘗めてばかりいたせいで、緑色の体をしているが、半分は光の体(彼の世の体)であるため、エメラルドグリーンに輝いて見えることがある。竜の周囲は明るいことがある。

 錬金術師の娘は子供たちが救うが、父親の運命を考えているところ。父親は、竜の生態を娘に教えて、火あぶりになる寸前にいなくなった。それが娘が魔女として捕らえられる原因を作るのだが、父親は自ら逃げたわけではなかった。 

 このお話の背後には、時空を超えて商売の手を拡げる商社の存在があり、その商社はこのお話ではほんのり姿を感じさせる程度だが、その商社の属する企業グループか、あるいはそれと敵対する別の企業グループかのいずれかに父親は招かれたのだ。シリーズ物となる予定の何巻目かで父親がフルに出てくることになるだろうが、このお話ではいなくなったことくらいしか描かれない。

 頭の中では順調に肉付けがなされていくが、実際のお話の続きは一行書いただけ。

「子供たちは、世界の鍾乳洞を紹介するテレビ番組にすっかり夢中になってしまいました。」

 できれば今週中に、子供たちが鍾乳洞の入り口に辿り着くくらいまでは書いてしまいたい。

 紘平は接着剤で、電器店の倉庫の通路に鍾乳洞をくっつけるが、通路は鍾乳洞の天井に近い横穴の部分にくっついてしまう。わたしが秋芳洞の冒険コースで辿ったのと同じようなコースを辿らせよう。

 冒険コースとは違って手すりなどないから、幼稚園児の翔太などには大変な道だ。子供たちは冒険ごっこのつもりだから、リュックを背負い、懐中電灯を手にしている。リュックの中にはお菓子が沢山入っている。個別パックされたチョコ、クッキー、ゼリーも。ゼリーは洞内で喘息の発作を起こす翔太が食べるのにいいだろう。

 子供たちが見つかったあとは食べ物が与えられるからいいが、鍾乳洞で過ごす数日間を子供たちは、錬金術師の娘に分けて貰った食べ物とお菓子で過ごさなくてはならない。

 お話の洞内の水は、モンドセレクション金賞を受賞した龍泉洞の水並みの美味しい水ということにしよう。龍泉洞は、日本の三大鍾乳洞の一つで岩手県にあり、探検し尽くされていない広大な鍾乳洞。大きな地底湖があるという。三大鍾乳洞のあとの二つは高知県の龍河洞、山口県の秋芳洞。

 お話に登場する緑色の竜は、地底湖に棲んでいる。

 以下に、参考のためにフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「魔女狩り」より抜粋しておく。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「魔女狩り」より。《魔女裁判の方法》から部分的に抜粋。

魔女狩りの根拠とされたのは旧約聖書『出エジプト記』22章18節の「女呪術師を生かしておいてはならない」 という記述である[2]。ここで言う女呪術師、原語メハシェファ とは、「魔法を掛ける」「魅惑する」という意味の動詞キシェフ と語根を同じくする女性名詞である[3]。この「魔術を行う女性」というほどの曖昧な表現が欽定訳聖書(1611年)の編集時に「魔女」(Witch)という言葉に訳され、当時の人々のイメージに合わせて書き換えられた。このため、この部分が魔女狩りの聖書における根拠になりうると考えられた。
魔女として訴えられた者には、町や村、もしくはその近郊に住む女性で、貧しく教養がない、あるいは友人が少ないといった特徴を持つものが多かったようである。近代に入ってもカトリック・プロテスタントを問わず、宗教界の権威者たちは非キリスト教的な思想を嫌った。それは旧約聖書にあるヘブライ人たちの多神論への攻撃にその論拠を求めたものであった。
〔略〕
魔女狩りの歴史を研究するジェニー・ドビンス(Jenny Dobbins)は魔女狩りの最盛期(1567年-1640年)に民衆法廷から教会裁判へ持ち込まれた魔女裁判の容疑の半分以上が証拠不十分として無罪宣告され、拷問は用いられず、被告は「自分が魔女でない」ことを宣誓してくれる証人を呼ぶ権利を認められていたといい、さらに訴えられたケースのうち21%のみが教会裁判で裁かれたが、教会がなんらかの罰や刑を課すことはなかったという。
ただ、教会裁判の実情が以上のようなものであっても、実際にはほとんどの魔女とされた者は民衆法廷で裁かれており、民衆法廷には厳密なシステムやルールが存在しないだけに、行き過ぎた拷問や刑罰が行われたものと考えられる。
処刑法としてはヨーロッパ大陸では焚刑(火あぶり)が多く見られたが、イギリスでは絞首刑が主流であった。ほかにも溺死刑などがあった。
『拷問の歴史』(The History of Torture Throughout the Ages)の中でジョージ・ライリー・スコット(George Ryley Scott)は魔女の疑いをかけられたものに対しての取調べや拷問は、通常の異端者や犯罪者以上に過酷なものでなければならないという通念がはびこっていたという。それだけでなく魔女に対する取調べのために新しく考案された拷問もあり、魔女裁判によってヨーロッパに古代から伝わっていた民間伝承の多くが失われることになったという説もあることを紹介している。

《時期と地域、犠牲者数》より部分的に抜粋。

魔女狩りはかつて「長期にわたって全ヨーロッパで見られた現象」と考えられていたが、現代では時期と地域によって魔女狩りへの熱意に大きな幅があったことがわかっている。全体としていえることは、魔女狩りが起きた地域はカトリック・プロテスタントといった宗派は問わないということであり、強力な統治者が安定した統治を行う大規模な領邦では激化せず、小領邦ほど激しい魔女狩りが行われていたということである。その理由としては、小領邦の支配者ほど社会不安に対する心理的耐性が弱く、魔女狩りを求める民衆の声に動かされてしまったことが考えられる。
時期を見ると16世紀から17世紀、さらに限定すると1590年代、1630年ごろ、1660年代などが魔女狩りのピークであり、それ以外の時期にはそれほどひどい魔女狩りは見られなかった。
地域別に見るとフランスは同じ国内でも地域によって差があった。ドイツでは領邦ごとの君主の考え如何で魔女狩りの様相に違いがあった。イタリア、ヴェネツィアでは裁判は多かったが、鞭打ちで釈放され処刑はほとんどなかった。スウェーデンでは強力な王権のもとで裁判手続きが厳守されており、三十年戦争期には占領したドイツ領邦で魔女狩りを抑止していたが、17世紀中ごろより大規模な魔女狩りが発生している。スペイン(バスク地方を除く)では異端審問が行われていたが、これが魔女狩りに発展することはなかった。オランダでは1610年を最後に魔女が裁判にかけられていない。ポーランド、少し遅れて18世紀のハンガリーでは激しい魔女狩りが起こった。イングランドでは1590年代がピークであったがすぐに衰退した。対照的に隣接し17世紀以後に同君連合を形成していたスコットランドでは1590年代~1660年代と長きにわたっており、一方アイルランドではほとんど見られなかった。北アメリカの植民地ではあまり見られなかったが、1692年にニューイングランドのセイラムで起こった大規模な魔女騒動(セイラム魔女裁判)が例外的な事件であった。それゆえに人々に衝撃を与えアメリカの歴史に暗い影を落とした。同時に、魔女狩りの当時者による公的な謝罪が行われた唯一の事件でもあった。”


“『接着剤』の資料集めの一環として、恐竜展に行ったことはよかった。本物の骨とレプリカからは受ける感じが全く違い、本物からは温もりというか、丸みというか、生き物が――骨になってさえ――持つ威厳というか、未だ褪せない躍動感とでもいおうか、そうしたものが感じられ、心を打たれた。ストーリーを変えるかもしれない。いずれにせよ、恐竜が主役に違い存在感で作品の均衡を破る寸前まで行くだろう。ああ恐竜にラブラブしちまった!2009年9月3日(Thu)”

 遠い遠い昔の恐竜の卵。昔の錬金術師が孵したのか自然の神秘的作用のうちに孵ったのか……。

 動植物に乏しい鍾乳洞内で長く生きている竜は、半分以上は光の体(彼の世の体)で生きていて、大きな体なのにコケを嘗める程度で生きている。今(中世)の錬金術師はそれを知っていた。知らない街の人々は、魔女裁判にかけられた人々を生け贄として捧げてきた。竜はそれを食べたことなんかなく、生け贄は逃げ切れたか、広い暗い洞内で遭難したかだろう。

 洞内に入り込む中世風の世界は架空の世界で、東西の習慣やムードが混じるが、ヨーロッパ中世のムードを主調としたいと思い、ユイスマンス研究のおこぼれに加えて、ホイジンガ『中世の秋』をざっと読んでいるところ。

 竜のイメージ作りのため、恐竜展で買った『BBC BOOKS よみがえる恐竜・古生物【超ビジュアルCG版】』(ティム・ヘインズ&ポール・チェンバーズ著、椿正春訳、ソフトバンククリエイティブ、2006年) を観、ホイジンガとユイスマンスを読んでいたら、頭の中がぐしゃぐしゃになって、疲労困憊してしまった。

 が、恐竜から竜といえる存在になって鍾乳洞に生きる生き物のイメージは鮮明になってきた。

 最初のプランでは、竜をリンドグレーンの『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、岩波少年文庫、2001年)に出てくる牝の竜カトラみたいな物凄いやつにしようと思っていた。恐竜展で肉食恐竜の中でも巨大なやつの骨を見ると、そうしたイメージも掻き立てられたが、一方では、植物食恐竜(今は草食とは呼ばないらしい)の朴訥な優しげな骨を見て、どうしてもそれを竜のモデルにしたいと思ったのだ。

 それに洞内に入り込む子供たちは錬金術師の末裔であり、囚われているのは錬金術師の娘なのだ。東洋の神秘主義では、竜の出現はドラゴンなんかとは違い、だいたい吉祥に決まっている。それにふさわしい存在にしたい。それでいて、人々がドラゴンと恐れるだけの背景を持たせたいのだ。どす黒い恐怖は竜ではなくて、ずさんな法制度・経済政策・衛生事情、痩せ干乾びた思想がもたらす。

 リンドグレーンの『はるかな国の兄弟』では、キリスト教思想とはとても思えない死後の世界が展開していくが、牝の竜カトラが落ちるのがカルマ滝というところを読み、ハッとした。カルマ滝とあるが、原語ではどう書かれているのだろう。まさか、東洋のあのカルマの意ではないだろうな?


 舞台のモデルとするために、秋芳洞(あきよしどう)を取材した。秋芳洞入口から入り、黒谷口から出ました。途中、冒険コースにチャレンジした。

 中が暗いために、わたしのデジカメではほとんど写らず、携帯で辛うじて……といったところだったが、創作資料とするために基幹ブログ「マダムNの覚書」にアップ。

 洞内でも、何枚かは何とかデジカメで撮れた写真があった。息子が撮ってくれた。

「秋吉台・秋芳洞観光サイトhttp://karusuto.com/」 の中の
『秋芳洞http://karusuto.com/html/02-learn/02-akiyoshido.html』 に、秋芳洞に関するわかりやすい解説があったので、以下に抜粋。

“秋吉台の地下100m、その南麓に開口する東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」は大正15年昭和天皇が皇太子の御時、本洞を御探勝になり、この名前を賜ったものです。ひんやりと肌をさす冷気漂う杉木立を通り抜けると、秋芳洞の入口です。洞内からの水は三段の滝となり、飛沫を舞い上げながらコバルトブルーの川面へと流れ落ちています。洞内の観光コースは約1km(総延長10km)、温度は四季を通じて17℃で一定し、夏涼しく冬は温かく、老人、子どもも快適に探勝できます。時間が凍結したような不思議な自然の造形の数々は変化に富み、私たちの心に大きな感動を呼び起こさせてくれます。”

 秋芳洞を訪れた日は真夏のような暑さで、ハンカチをしきりに額や首筋に当てなければならないような状態だったが、秋芳洞入口から杉木立の道へ入ったとたん、ひんやりとした空気に包まれ、一気に汗が乾いた。

 洞内は、エアコンが効いたような涼しさだった。



 ☆以下は、『不思議な接着剤』と姉妹作品としてリンクする妹作品『すみれ色の帽子』その12。秋芳洞のイメージを利用した。

すみれ色の帽子 その12/貴婦人と竜
2011.5.30
マダムNの覚書

“「へえー、秋芳洞(あきよしどう)の内部照明が、すべてLED灯に一新されたのだそうだ!」
 パパが、日曜日の朝、ネットニュースを見ながら、いいました。

「そうなの?」
 わたしは、ピアノをはなれてパパのそばへ行き、パソコンの画面をのぞきこみました。

 パパは読みながら、産経新聞が5月15日の10時29分に発信したニュース記事を要約してくれるのですが、そうすると、わたしは自分で読みたくても、読めなくなっちゃう。パパは、わたしが読みおえるのを待てないんだと思うわ。

「これまでは、蛍光灯や水銀灯、ハロゲン灯が約200基設置されていたのだそうだ。それらの電灯によって光合成がおこなわれるようになり、本来は植物がまったく育たない洞窟内に、藻やコケが育ち、『洞内緑化』の問題を生じた。独特の生態系をこわしかねない事態が、関係者をなやませてきたというんだな。発熱量の少ないLED灯なら、植物の生育がおさえられるかもしれないということで、LED化がおこなわれたんだそうだ」

 このニュースは、紘平くんにしらせる必要があると思いました。わたしたちは午後、図書館の庭で待ち合わせました。

「ふむ、われわれにとっては、それはゆゆしき事態だな。植物の生育がおさえられるということはさ、つまり、ミッシーの食べものがしだいにとぼしくなっていって、しまいにはなくなるってことだからね」
 紘平くんは、弟の翔太くんのほうを見ながら、小さな声でいいました。

 さいわい、翔太くんは、わたしたちの座っているベンチにはこないで、べつのベンチの上を横ぎる赤いアリたちに夢中でした。ミッシーの生死にかかわる話題は、翔太くんには深刻すぎると思いました。

 ミッシーというのは、わたしたちが鍾乳洞にいると空想している架空の生き物で、それは恐竜でした。

 ミッシーのことをいい出したのは、紘平くんでした。あるとき、紘平くんがいったんです。
「ぼくと翔太は、山口県にある秋芳洞へ行ったことがあるよ」

「ぼくは、あきよしどーって、知らない」
 翔太くんは主張しました。
「おまえは、ベビーカーのなかで、すやすや眠っていたんだよ」
 と、紘平くんは翔太くんに説明しました。

「コウモリはいた?」
 とわたしがきくと、紘平くんは、うす笑いをうかべました。
「洞窟なんだぜ。コウモリくらい、いるにきまっているじゃないか。ぼくは、見なかったけれどね。そこいらを飛びまわってはいなかった。どこかにかたまって、眠っていたんじゃないかな」

 そして、紘平くんは、秋芳洞について話してくれました。
「秋芳洞は大きな洞窟でね。ライトがたくさんあっても、なかはけっこう暗かったな。天井はとても高くて、見上げると、くもった空みたいに見えるんだ。いろんなかたちの鍾乳石があった。つららみたいなのや、タケノコみたいなのや、皿を重ねたみたいなのや……。そういえば、太い柱のある部屋みたいになったところがあったよ。ああ、それから――それからね、恐竜にそっくりの巨大な岩があったんだ。そいつはコケにおおわれていたせいで、緑色に見えた。とてつもなくでっかくて、通路から見上げたかんじが、ちょうど、恐竜展で馬鹿でかい植物食の骨格を見上げたかんじに似ていた」

 翔太くんが、
「ネッシーだね! ネッシーだね!」
 といい出したので、紘平くんはおごそかにいったんです。
「ちがうよ。ネッシーはイギリスのネス湖にいる恐竜だろう。あそこにいたのは、ミッシーさ。緑色をした、植物食の恐竜」

 それから、わたしたちはたびたび、ミッシーの話をするようになりました。

 ミッシーは太古から生きのびてきたメスの恐竜で、食べ物はコケでした。コケばかりなめていたおかげで、体が緑色になってしまったのでしょう。しかも、ミッシーは竜になりかけていたの。聖獣になりかけていた証拠には、体からほんのりと光を放っていたんです。鍾乳洞にライトが一つもなくったって、ミッシーの光で、なかはほのかに明るかったはずだわ。

 そんなとき、わたしたちはミッシング・リンクという言葉を知りました。ミッシング・リンクは失われた環、一連のもののなかの欠けた部分のことよ。ミッシーは恐竜と竜をつなぐ生き物なのに、その存在はほとんど知られていないでしょ? だから、ミッシーのミは、緑のミであり、ミッシング・リンクのミでもあるってことになりました。

 そのうち、太い柱のある部屋のようになったところには、おどろくなかれ、ヨーロッパ中世の人と思われる貴婦人がとらわれていることがわかったの。ミッシーは、その貴婦人になついているようでした。

 ただ、鍾乳洞からミッシーの食べ物がしだいになくなっていき、洞内が緑色でなくなっていくおそれの出てきた今になっても、まだあそこにミッシーがいるとは考えられないわ。ミッシーは、竜になって、あそこを出ていったんじゃないかしら。

 すると、紘平くんは、うなずいていいました。
「そうだね、きみのいうとおりだとぼくも思う。もう、あそこにミッシーはいないにちがいない。竜になったミッシーは、とっくに貴婦人を背中にのせて、飛んでいってしまったんだ。あの時代の騎士たちには追跡できっこない、遠い、安全なところをめざして、飛んでいったんだよ」

 そのとき、ミッシーは、まばゆい光をあたり一面に放つ竜になって、飛んでいったのでしょうね。”


 ***グループは、太陽系を代表する企業連合の一つだが、紘平の父親が勤める***商事は、***グループの中核とされるうちの1社である。アルケミー株式会社も、その***グループに属する1社。雄大なグループ名がいいなあ。あるいは逆にごくシンプルな。紘平の父親が勤める商事会社には、そのグループ名が入る。


 スピカのイメージが二通りわいたが、よく考えれば、そのうちのどちらがスピカにふさわしいかは、自ずとわかることだった。 

 錬金術師の娘スピカは、鍾乳洞内の湖に住む竜の生贄とされる定めで、鍾乳洞に幽閉されている。彼女はいささか気が触れているが、彼女本来の気品と知性は損なわれることなく、鍾乳洞内に入り込む子供たちにも伝わる。

 このスピカのモデルが誰であるか、どうしてこれまでわからなかったのだろう。基幹ブログ「マダムNの覚書」で連載中の(中断していますが、まだ続きる予定)『あけぼの――邪馬台国物語』に登場するヤエミのモデルとは違う人物。

 スピカのモデルは、修道女を育てるためのカトリック系の学校が合わず、そこで精神を損なったと語る、先日博多で会ったばかりのわたしの友人。彼女しかいない。仕上がったら、彼女に読んで貰おうと思う。

 彼女は修道院の学校を出たあとも、そのときに培ってしまった自己否定的な意識に依然囚われたままのようだ。自由な彼女の本性は、そこから逃れようともがき苦しむ。

 わたしのお話に出てくる中世風の架空の街では、住民達は古風な信仰に生きている。それはわたしのお話の中だけに出てくる宗教、信仰で、わたしたちの誰もが知らず知らず囚われがちな固定観念をシンボリックに表現したものだ。その固定観念がとるイメージは、人それぞれだろう。

 わたしの友人の場合は、それがたまたまカトリックであったというだけのこと。そして、先日博多で会ったとき、わたしは彼女から、以前はなかった力強さを感じた。

 彼女が混乱した自分をコントロールできるだけの統合力を育みつつあることを感じたのだ。

 その彼女の内的な力強さが、わたしのお話の子供たちを引き寄せた。わたしはこんなにも長いこと、彼女のことを書きたかったのだと気づいた。彼女をモデルにしたスピカと子供たちが鍾乳洞の中でどんなドラマを繰り広げることになるのか、まだおぼろげにしかわからない。

 それにしても、子供たちの一人、少女瞳のモデルがマチコちゃんであり、スピカのモデルが彼女であることが判明するまでにずいぶん時間がかかってしまった。

 でも、この作品をわたしは急ぎたくはなかった。この児童文学作品が求道的なものになるであろうことははっきりしていたから。賞に応募するために、手っ取り早く仕上げるなんてことは絶対にしたくなかった。


 午前中はフラフラしながらも元気だったが、午後寒気がし出した。風邪をひきかけたのかもしれないと思い、横になった。

 昨日掃除機が壊れ、明日休みの夫と買いに行く予定で、そのぶん家事の量が減ったので、余裕の気分で横になった。1日か2日でも、掃除機をかけないと気持ちが悪いけれど。10年は、使い込んだ掃除機だった。治療(修理)はしないよ、安らかに眠ってくれ。

 横になって震えていたが、わたしの児童文学作品の子供たちの声が聴こえた気がして(勿論想像だが声があるのだ)、お話の続きを考え始めた。

 まだ出てきていない錬金術師の娘スピカのイメージが、二通り出てきて、タイプがまるで違うことから、二通りの話がそれぞれ展開し出した。どちらにもリアリティがある。

 選択を誤れば、半年はふいになる。そう思いながら、眠ってしまった。

 娘の携帯の目覚ましの音が夢の中で聴こえ、起きると、軽い胸の圧迫感。よくならないので、ニトロ舌下錠を使う。胸から手にかけて清涼感。やはり舌下錠はよく効く。

 よくなったが、用心のため横になったまま、岩波少年文庫から出ているテア・ベックマン『ジーンズの少年十字軍』を読む。

 歴史上の愚行を、いささかの美化も交えず、子供たちの息遣いが聴こえるような筆遣いで描いている。舞台となるルートを彼女は丹念に取材したらしい。

 旅行しての取材が不能に陥ったわたしのハンディーの大きさを、改めて思わずにいられなかった。元気だったら、児童文学作品のために、昔行ったあの鍾乳洞へ出かけていただろう。悔しい。

 ベックマンについては、またの機会に触れたい。寒気はとれ、夜になっても、現時点では体調は悪くない。


 子供たちがおやつを食べながら見るテレビには、次のような順序で、映像が流れる。

中世風の街並み
⇒鍾乳洞(スロベニアのポストイナ鍾乳洞)
⇒洞窟城(ポストイナ郊外ブコヴィエ集落にある洞窟城)
⇒洞窟城の内部⇒再現された司祭の部屋
⇒拷問の展示物

 テレビ番組はここで終る。スロベニア紀行の一部分を子供たちは見たということにしよう。

 鍾乳洞の映像は、子供たちの興奮をそそる。翔太はコウモリに興味を持つ。後にそのコウモリの糞で、翔太は痛い目に遭う(喘息の発作)のだが。

 紘平は、秋芳洞に行ったときの話をする。そのとき翔太も一緒だったのだが、今より幼かった翔太はそのとき眠っていて、父親に抱かれていた。紘平は、土産店で、ティラノサウルスの人形を買ったことを思い出し、その話もする。工作の宿題で恐竜を作りかけであることも、彼は当然思い出すが、瞳に対するプライドから、下手な工作の話はしない。

 瞳は理系のタイプの女の子で(なにせ、将来、女医さんになったポニーテールのマチコちゃんがモデルなのだから)、鍾乳洞に並々ならぬ好奇心を募らせる。

 どちらかというと、彼女の誘導で、彼らの冒険は始まるのだ。彼女は以前のnoteで書いたように、いわば錬金術師の末裔なのだから、当然といえば当然の展開といえる。

 白い猫を忘れないこと。


 秋芳洞は「温度は四季を通じて17℃で一定し、夏涼しく冬は温かい」という。外国にある鍾乳洞に関する記事だったか、12℃で一定というのもあった。鍾乳洞の中は、このようなものらしい。一定していて、過ごしやすいらしいのだ。原始人が暮したり、宗教的な場として使われていたりもした過去があるわけだ。

 昔、夏行ったときに中がひんやりとしていたので、冬はかなり冷え込むのかと思っていたが、一定しているのか。これは都合がよい。子供たちをあまりに過酷な状況下に置くわけにはいかないからだ。

 湿度は高いようだ。内部の環境は、喘息患者にはどうなのだろう。喘息の子供を鍾乳洞に連れて行ったというブログの記事に、その子が階段で発作を起こしたとあったから、起きることはあるのだろう。コウモリの糞など、あるだろうから、それで喘息が誘発されることもあるに違いない(それに、スピカの白い猫もいる)。

 紘平は秋芳洞に行ったことがあり、そのとき土産店で恐竜ティラノサウルスの人形を買った(……)と、どなたかのブログにあったのを拝借)。

 日本あるいは海外の鍾乳洞にお出かけになった方々の記事を読むと、鍾乳洞と化石と恐竜は結びつきやすいらしく、鍾乳洞と化石発掘体験と恐竜センターとがパックになったツアーは珍しくないようだ。

 紘平一行の冒険には、鍾乳洞内の湖に潜む恐竜との闘いが待っているのだから、イメージ的な結びつきは重要だ。この冒険は、紘平の異次元体験とも夢の中の出来事ともつかない描きかたをしなければならない。

 まあ神秘主義者のわたしにとっては、両者は別のものではないけれど。。。

 世界一のマンモスケーブ、ヨーロッパ一のポストイナ鍾乳洞など調べる。

 失敗作のシフォンケーキを食べ、ココアを飲む間、子供たちにテレピを観せることにしよう。そこに、鍾乳洞が映し出されるというわけだ。

 中世のイメージをくっつけるとしたら、ポストイナか。そこに、紘平の行ったことのある秋芳洞のイメージが混じる。瞳は行ったことがなく、行きたいという。そこから、倉庫の中の通路の先に鍾乳洞をくっつける動機が招かれるというのは、どうだろう。


このページのトップヘ