1週間ほどイタリアのローマに出張していた息子が帰宅し、昨晩電話をかけてきた。

最初、娘と1時間半ほど話し、次にわたしとやはり1時間半ほど話した(話したいことを話すと、偶然それくらいの時間になった)。

息子は電話を切るときに今日も仕事といっていたので、休みとばかり思っていたわたしは疲れさせたのではないかと心配になったが、海外に出かけたときは大抵、疲れた様子がない。

普段は会社で遅くまで仕事をし、食事は外食かコンビニ弁当(近くにHotto Mottoなどのお弁当屋さんはない)、休日や有休を使って大学の研究室へ行くときなど――会社と大学の博士課程を掛け持ちしている――はいつも安ホテルに泊まっている息子には、むしろ海外出張のときに泊まる普通のシティホテルやその土地での食事、仕事のスケジュールなどが体に優しいものだからだろう。

息子が出かけたのは会社で行っている仕事の分野における専門家の集まりで、主催者はベルギーの会社。前に行ったオランダでの集まりもそうで、会場はヨーロッパを転々としているらしい。

前回アメリカのサンフランシスコに行ったときは大きな化学会で、そのとき息子はポスター発表をしたといっていた。

今回のローマの集まりでは、英語で30分ほど講演をしたそうだ。

主催者の手違いで、後から送った修正した資料ではなく、修正前のものを渡されたため、用意した講演内容に狂いが生じ、困ったそうだが、強気で押し通したとか。

ナポリの大学から学生が講演を聴きに来ていたという。主催した会社の社長が運動好きで、講演会、長い時間続くパーティー、行きたい人は夜でも行く観光……と出席した人々が例外なく夜更かしをした翌朝、マラソン大会を催した。

息子はとてもつき合いきれないと思い、出なかったそうだが、外人のスタミナには感心したようだ。息子の会社からは4人行ったそうだが、今回は割合に市内を観光をする時間がとれたらしい。

息子は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂に圧倒された。何より、天井の高さに圧倒された。どうやって造ったんだろうと思ったよ、としきりにいった。

システィーナ礼拝堂は壮麗だが、観光客がいなければ、教会らしい落ち着いた雰囲気だと思うと息子はいった。ミケランジェロの天井画は落ち着いた色調だったとか。

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ミケランジェロ(1475-1564)「最後の審判」、システィーナ礼拝堂
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あるテレビ番組で、ミケランジェロが足場を組み、仰向けになったまま、顔に滴り落ちてくる絵の具を物ともせず、描いている様子を再現していたわよ、とわたしはいった。

すると、息子は「足場を組むったってさ、物凄い高さなんだよ。見当もつかないな」といった。そういわれてみると、わたしも不思議になってくる。足場を組むだけでも、大変な作業だろう。高所恐怖症にはできない仕事に違いない。

コンビニ間隔で教会があり、そのどれもが凄かったという。ステンドグラスにも圧倒されたようだ。あそこに住んでいたら、嫌でもカトリック教徒にならざるをえないと思うよ、と息子はいった。

そういえば、もう何年も前の話になるが、義父母は義妹母子とドバイからクールーズの旅に出た。ローマにも行き、義父の感想は「寺ばかり」という一言だった。寺とは教会のことだろう。

カトリック教会だらけの国。イタリアの神秘主義者たちは、どう生きていたのだろう?と思ってしまう。

文盲であることが普通だった中世ヨーロッパの民衆には、キリスト教を理解するために絵が必要だった。

しかし、原田武著『異端カタリ派と転生』(人文書院、1992年)によると、北イタリアのロンバルディア地方、南フランスのラングドックで栄えた異端カタリ派は、土地の言葉に翻訳された独自の聖書を持ち、集会のたびに福音書が朗読、解説されたという。

カタリ派には裕福な知識層が多かったというのも頷ける。当時は相当なインテリでなければ、聖書を読むことすらできなかった。ましてや、継承した思想を育み、カトリックに対抗することなど、ひじょうに特異な事態で、そこからカタリ派の独自性と隠れた歴史が透けて見えてくる気がする。

息子の話を聴いていると、『不思議な接着剤1: 冒険前夜』の続きを書くためには、ローマぐらい見ておかなくては、と思ってしまう(まあ無理だけれど)。

トレビの泉は工事中だったそうだ。コロッセオ――円形競技場――は巨大。外から見ただけだそうだが、それだけでもローマ帝国の威容が伝わってきたよ、と息子は心底感嘆したようにいった。如何にも廃墟という感じらしいが……。

カラカラ浴場の遺構も、浴場という現代の概念を超えた壮大なものらしい。それでいて、残った壁画、床のタイルなど見ながら、そこに佇んでいると、どこかしら日本の浴場を連想させる雰囲気があって親しみが湧いたそうだ。ヤマザキマリのお風呂漫画『テルマエ・ロマエ』の着想をなるほど……と思わせるものがあったとか。

街のいたるところに遺跡が転がっているという。遺跡と共存というより、ローマ帝国時代の遺跡を邪魔しないように造られた街――と、息子には映った。遺跡が暮らしの邪魔になっているように見える場所もあったという。

遺跡を見て、息子は天井の高さにつくづく驚いたようで、「ああいったものを造るために、奴隷がずいぶん死んだだろうね」といった。教会でも天井の高さに驚いたようだから、ローマのいにしえの建築物の天井の高さは、よほど印象的なものなのだろう。そうした建築物と一体化した沢山の彫像も凄かったそうで。

遺跡の壁が印象的だったとも息子はいう。あるテレビ番組で、ローマ帝国の優れたコンクリート技術があのような壮大な建築を可能にしたといっていたわよ、とわたしは話した。

ローマを強いて日本に例えれば、雰囲気的には京都というより奈良。都会度は岡山市くらい。そこに教会と遺跡がいたるところにある風景を連想すればいいというが、わたしはうまく想像できなかった。

書店のことを尋ねると、日本のような大型書店は見かけなかった、日本の書店のように本がぎっしりとは置かれていないという印象を受けたようだ。展示品のような感じで、平台に表紙を見せておかれている本が多かったという。アメリカのサンフランシスコで行った書店も、日本のようにぎっしり――という本の置き方ではなかったとか。

食べ物では、パスタがとても美味しかったそうで。コーヒーは特に感動したとかはなく、スーパーで買い物をしたが、ちょっと食べる程度の物は日本の物のほうが好み。

ウェイターはユニーク、一般的な店員は無表情。観光客が多かったが、それを除けば、街中ではオバサンの比率が高い気がした。ドイツ――オランダに行ったときに、フランクフルトにちょっとだけ行った――のオバサンの静的な感じと比較すれば、動的、活動的な感じだったとか。

バイキングで何か取ろうとしたら、陽気なウェイターから「ホー! それとるの? 今日はせっかく新鮮な魚介類が入っているのに」と、英語と身振り手振りで海鮮パスタをすすめられ、それを食べたら、とても美味しかったという。

レストランでジュースを注文しようとしたら、そこでもウェイターから、「え、エスプレッソ?」といわれ、「うんにゃ、わしはジュースじゃ」というと、さらにウェイターが「ん、カプチーノだって?」としつこくアピールしたので、カプチーノにしたのだそうだ。

強引だけれど、愉快な感じで、少しも嫌みなところがなく、ジュースじゃなくて自慢のコーヒーを飲んでほしい!という精神に溢れていたから、それじゃカプチーノにしてみようかなと息子は思ったとか。

フェレロのチョコとパスタをお土産に買ってきてくれたそうだ。

フェレロはイタリア老舗チョコレートブランドで、息子のオランダ土産のフェレロにはメイド・イン・ドイツとあった。今度のはさすがにメイド・イン・イタリーかな。「ガーデン」という銀色の包みのココナッツクリームが香るチョコが忘れられなかったのだけれど、あれ、入っているかしら。

エスプレッソ専用のコーヒー豆を手にとり、お土産に追加を迷ったが、「道具がないと、これ使えないな」と思い、戻したそうで、それは残念。エスプレッソメーカーがうちには2台もあるのに……。その代わり、ホテルの部屋に備え付けられたインスタントコーヒーを数スティック入れてくれたそうだ。

ホテルにあった、そんなちょっとしたものを入れてくれるのは嬉しい。