創作ノート - 不思議な接着剤

執筆中の児童小説「不思議な接着剤」のためのノートです。 リンク、転載を禁じます。

『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』のルビ振りがようやく終わりました。

ルビ振りやり出すと、創作が停滞する泥沼に填まるような気がしますが、電子出版であれ、子供向きの本を自分で出そうと思えば、避けられないことかと。

冒険物語、前夜――といった内容ですが、これを出してからでないと、初の歴史小説に本格的に取り組む覚悟ができませんでした。

表紙はyomiさんが提供してくださりそうなので、変更になりそうです。本当に提供していただけるとすれば、わたしにとっては初の協同作業ということになり、ちょっぴり興奮しています。

息子は夏にアメリカ、秋にイタリア出張が決定したとか。社会人として働きながら大学のドクターコースに籍を置いていますが(物理寄りの化学で、ちょっとマイナーな研究領域)、会社の仕事と大学での研究とがリンクするようになり、出張は学会に出るためだとか。

わたしもイタリアに行けたらなあ。そうしたら、『不思議な接着剤』(2)を書くための参考になりそうなんですが。息子は観光で行くわけではないので、どんな感想が聞けるかはわかりませんが、歴史好きの息子が捉えたイタリアの印象、少しは期待したくなります。

『不思議な接着剤』の陰の主役、時空を超えて商売の手を拡げるアルケミーグループが関係する物語はシリーズにしたいと考えている児童小説です。

『不思議な接着剤』(1)(2)は三人の子供たちが主人公。

主人公の一人、瞳という少女の視点で描いた日記体児童小説を既に電子出版しています。『不思議な接着剤』とリンクする部分はあるのですが、カラーが異なります。

サンプルをダウンロードできます。
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近日発売予定の『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』は、相変わらずルビ振りでもたついています。

目の疲れがひどかったので、中断していたのです。眼鏡が合わなくなってきているのかもしれません。

日本語ワープロソフト「一太郎」が指定の通り小学4年以上の漢字にルビを振ってくれるのは本当にありがたいです。

ただ、手直しも結構要ります。

音読みと訓読みを区別するためでしょううか。訓読みには、例えば泣く(なく)、呼ぶ(よぶ)――という具合に、送り仮名までルビがついてしまうので、消す作業が要ります。

また、ルビが必要な場合、例えば「透明(とうめい)」、「透(とう)明」、「透(とう)めい」、「とう明」、「とうめい」のどれにするかの迷い。

今日は特に、「零点(れいてん)」、「〇点」、「れい点」のどれにするかで迷いました。わたしのkindle本は縦書きです。

「点」は自動ではルビがつかないので、学習済みということでしょうね。学習済みの漢字はなるべく採り入れたい。

「零点」だと「零」が難しいかもしれませんし、漢数字の「〇」は、縦書きでこの漢数字一つでは何となく間が抜けて見えます。

で、「れい点」にしようと思いましたが、「れい点」には「零点」と「冷点」があります。で、結局「零点(れいてん)」にしました。

「子供(こども)」「子ども」のどちらにするかは、一種の踏み絵(?)。何のことかわからないかたもいらっしゃるでしょうが、ここではこのことについては触れません。

ルビにこだわったところで、わたしのkindle本が子供に届く可能性はとても低いでしょう。

中古を手に入れるか、図書館で読むしかなかったアンリ・ボスコ『犬のバルボッシュ』(天沢退二郎訳)が、福音館文庫から昨年11月に出ていたようです。

この中にはマグダラのマリアに捧げる祈りが出てくるので、そのメモや感想を書いておきたいのですが、初の歴史小説を書くために読まなければならない本が沢山あって、なかなか時間がとれません。

初の歴史小説に入るはずが、Kindle本にまだへばりついています。

「不思議な接着剤」はまだ冒険に入る前までしかできていません――断片はメモ状で散乱しています――が、そこまでをKindle本にしておこうと思います。

タイトルは『不思議な接着剤 (1)冒険への道』です。なぜ急にそういうことになったかというと、過去記事でジュゲムブログがわたしには何だか記事が書きづらくなり(行空けに不具合が生じがち)、体調ブログをライブドアへ移したことをご報告しました。

「マダムNの児童文学作品」もジュゲムなので、移そうかと思い、以前連載していて現在は非公開になっている記事「不思議な接着剤」も移すかどうかで迷いました。

それで読み始めたところ、連載していたときの感覚がよみがえり、長く放置状態だったのに、子供たちは作品の中で生きていると思いました。

冒険の前までのお話はまとまりがあるので、作品の安全のためにKindle本にしておこうと考えたのでした。時々、猛烈に作品を整理したくなることがあり、どうかしたら消してしまい、後で後悔することがあるので。

「不思議な接着剤」シリーズは、「冒険への道」のあと子供たち3人が中世ヨーロッパにまぎれ込む物語が完結したあとも続く予定で、こうした物語の背後には時空を超えて商売の手を拡げる企業グループの存在があり、その存在は「冒険への道」とその続きではほんのり姿を感じさせる程度。

子供たちの父親たちは、どちらもその企業グループと関係があります。「冒険への道」では姿を見せない紘平の父親も、姉妹編『すみれ色の帽子』で姿を見せる瞳の父親も……。

『すみれ色の帽子』は日常を描いた日記体児童小説でカラーが異なりますが、関連性があります。

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初の歴史小説にどれくらい時間がかかるかわからないので、本にしておくのが無難かと。本にする資格なし、なんてことを、またどなたからかお叱りを受けそうですけれど。

物事を始めて2年目というのは、いろいろと問題や試練が起こってきがちなものです。ブログでもそうでした。3年目に入れば、わたしのキンドル本も落ち着くと思うのですがね。サビアン占星術が参考になります。

困ったと感じるレビューや☆を頂戴しても、それが宣伝になるのか、無関係なのか、その後も本が売れ(この記事のあとにも、1冊買っていただいたことをご報告する予定です)、1年目に比べたら、わたしのKindle本の知名度(?)もほんのすこうし、あがったといえます。

話が逸れました。で、冒険に入る前までというのを、子供たちが中世ヨーロッパへの通路となる電器店の倉庫に入ろうとするところまでにするか、入ってから、電器店の奥――その暗闇に鍾乳洞の暗闇を不思議な接着剤でくっつけ、やがてそこが中世ヨーロッパの洞窟だということがやがて子供たちにわかるのです――に行くところまでにするのか、迷いました。

電器店の倉庫では昔――中学時代――、友人の電器店の倉庫でお化けごっこなんかして遊んでいたので、効果的に使える自信がありました。加えて、倉庫の中で白いネコ(このネコが出てくるのには意味があるのですが)を子供たちが追いかける場面を書くために、ランプや懐中電灯の光で、かなり遊んでみたのです。

現れたり消えたりして見えるネコと動き回る子供たちに光がどんな具合に当たっているのか、結構、うまく描写できたと思っていたのですが、その10枚くらいの原稿がない! 二度と、あのときのようには書けない!

おそらく下書きのままだったのです。一番最初の下書きはだいたいノートにボールペンで走り書きするのですが、そのノートがありません。うっかり捨ててしまったのでしょうか。

ノートの字は我ながら読みにくく、10枚ぐらいになると、パソコンで打つのも少しは時間がかかるので、あとでと思い――何日か、気になりながら放置してしまったのでした。

その頃、身辺慌ただしくて、そのまま、わからなくなってしまいました。ノート、メモ類の数は半端ではなく、おまけにたまに捨てたりもするので、2時間くらいかけて探しましたが、絶望的です。


本格的に初の歴史小説に入る前に、「Notes:不思議な接着剤」をパソコンに保存しておこうと思った。保存したあと、400字換算してみると、508枚にもなった。

このノートは、当分は続くはずだが、この先のいつの時点かで非公開とさせていただくことになると思う。ご了承いただきたい。

児童小説「不思議な接着剤」で仕上がっているのは冒険に入る前までだ。構成、ストーリーはできているので、ある場面が浮かぶとメモしておく。以下は、登場人物の一人、紘平が異端審問官と対峙する場面。

 紘平は、異端審問官に答えて、いいました。
「ぼくたちは、異教の地から来ました」
――少なくとも、キリスト教が国教というわけではないからね。
 異端審問官は眉根をぐっと寄せて、うっすらと微笑をうかべました。「異教の地だと? マニ教の地から来たというのだな?」
 紘平はマニ教ときいて、とまどいました。マ二の秘法は、紘平が熱中したことのあるゲームの必須アイテムだったからでした。
「えっと、そうですね。ぼくたちの国にはいろいろな宗教が存在しているんです。もちろん、あなたがたのキリスト教だってありますよ。キリスト教を国教と定めるまえのローマ帝国を想像していただくと、よいかもしれません。一つの宗教を信じている人もいますが、正月に神社へ行って願いごとをし、盆に寺の坊さんをよび、クリスマスにサンタクロースのプレゼントを待つ人がたくさんいるんです。信じられるのは、飼っている動物だけとか、お金だけとかって人もいます」
 もっとも、ザビエルによって日本にキリスト教が伝わったのは1549年、室町時代のことでした。13世紀のこの頃は、日本では鎌倉時代にあたります。仏教の革新運動が進んだ時代でした。元寇の勝利によって、日本は神の国であるという『神国思想』が生まれた時代でもありました。
 異端審問官の頭は、紘平のわけのわからない回答に、混乱していました。
「おまえは、何者なのだ? そして、どこから、何の目的で来たのか? わかりやすくのべよ」
 アジア、といえば、それだけでも、いくらかは通じたでしょうが、紘平は自分の国と身分を表現する、古風でわかりやすい言葉を記憶にもとめて、聖徳太子の飛鳥時代にまで、さかのぼってしまいました。
 ――そうだ、小野妹子だ。
「ぼくたちは、アジアの日出づる処から来た、親善使節の一行です。よきにおはからいのほどを。異端審問官さま」
 紘平はうまく答えたつもりでしたが、平静をとりもどしていた異端審問官は、眉根を寄せただけでした。
 異端審問官の頭のなかは、聖徳太子とも、また紘平とも、ちがっていたので、アジアの日の出るところから来た、という紘平の言葉は、異端審問官には特殊な印象をあたえました。
 中世ヨーロッパでえがかれた『TO図』とよばれる世界地図では、大陸は3つにわけられていました。上半分がアジア、左下がヨーロッパ、右下がアフリカでした。世界の中心はエルサレムで、上のはしっこにはエデンの園があるとされていたのです。
 異端審問官は、きびしい口調でいいました。
「その親善使節の一行が、ローマ教皇のもとへはおもむかず、魔物がすみ、魔女のうたがいのかかる人物がとらわれている洞窟に、何の用があったというのか? その目的をのべよ」 

 2010年2月23日

 異端審問官の姿形、声、表情ははっきりとしたものがある。ここではまだ粗書きしているだけ。


大学時代、シャガールはとても人気があった。シャガールはその頃から何回か観ているが、なぜかいつも夫と一緒に出かけている。

そして、12月8日の最終日に出かけた「シャガール展」。

大分市子育て支援サイトnaanaを参考にさせていただくと、以下のような展示内容。

● 油彩
「エッフェル塔と新婚の二人」1928年
「恋人たちとマーガレットの花」1949 - 50年

● 版画
「母性」全5点、1926年
「アラビアンナイトからの4つの物語」全12点の内5点、1948年
「バイブル 」全105点、1956年
「悪童物語」全10点、1958年
「ダフニスとクロエ」全42点、1961年
「出エジプト記」全24点、1966年
「サーカス」全38点、1967年
「オデッセイ」全43点、1975年

広告には、「愛と幻想の色彩画家」とあったが、わたしの中にあったシャガールはまさにそんなイメージだった。

広告に使われていた「エッフェル塔の二人」という1928年の大きな油絵などはそのイメージにぴったりで、実物は美しかった。豊かな画風でありながら、案外すっきりしているという印象を受けた。

エッフェル塔を背景に寄り添っている二人は画家とベラ。十字に仕切られた窓の一角から入ってきている緑色のワンピースを着た天使は娘。窓の外に広がる赤い絨毯のような敷地にはエッフェル塔がある。

シャガールは愛妻家で有名で、特に最初の妻ベラは美貌と知性、霊感に満ちた女性ということで有名だ。シャガール関係の本は何冊か読んだので、何というタイトルの本で読んだか記憶が定かでないが、ベラは自身の死を予知していたという。

『〈愛蔵普及版〉現代世界美術全集 17 シャガール』(集英社、1971年)に、印象的な2枚のベラを描いた絵がある。

1枚は「黒い手袋をはめた私のフィアンセ」(1909年、カンヴァス、油彩、88×94 バーゼル美術館蔵)というタイトルの絵。やや横向きのベラは紫色のベレー帽を被り、ストレートヘア、長袖の襟のある白い服を着ていて、黒手袋をはめた両手を腰に当てている。若々しく、凜々しい表情で、女性だけれどもダンディだ。ベラはベラ・ローゼンフェルトといい、裕福なユダヤ人宝石商の娘だった。

もう1枚は「緑衣のベラ」(1934~35年、カンヴァス、油彩、100×81 アムステルダム市立美術館蔵)という年月を経たベラだ。このベラが魅力的なので、画集から、ちょっと写真を撮ってみた(スミマセン……)。

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成熟を感じさせるベラで、ひじょうに知的そうで、感性も豊かそうな中年女性だ。

シャガールにとってかけがえのない伴侶であったベラはこの後、1944年9月、シャガールが57歳のときに感染症で急死する。夫妻はニューヨークにいたが、8月にパリが解放されたところだった。ユダヤ人夫妻にとって困難の多かった第二次大戦の時代がやっと過ぎ去ろうとしていたのに。

シャガールの描く作品のそこここに、目の大きな、凜とした表情の人物があらわれるが、わたしはそれらの人物から、どうしてもベラを連想してしまう。

シャガールは愛妻の死に打ちのめされるが、では哀悼のうちに一生を終えたかというと、そんなことはなく、その後、二人の女性と一緒になっている。

英国女性ヴァージニア(ヴァージニア・ハガード)と一緒になった時期があり、男児をもうけている。その関係の破綻後、ヴァヴァ(ヴァランティーヌ・ブロドスキー)と結婚。

ヴァージニアの存在は今回調べてみるまで、わたしは知らなかった。以下のブログに詳しい。

シャガールの知られざる7年間 - ヴァージニアとの出会い:アンダルシアのネコ便り
http://blogs.yahoo.co.jp/maximthecat/27418488.html

シャガールは女性なしではいられない男性だったのだろう。何より画業にとって、女性は霊感の源泉だったようだ。

とにかくシャガールというと、そうした愛の歓びとそれを喪失した哀しみを描く画家というイメージだったのだが、今回は版画が多く、それも旧約聖書の挿し絵が充実していたことが意外な嬉しさだった。

わたしは萬子媛をモデルにした歴史小説が終わった後、長編児童小説『不思議な接着剤』の続きを書きたいと考えていて、その題材であるマグダラのマリアとの関連からも、興味深く鑑賞した。

女性たちとの愛を描くとき、シャガールは開花するようにひろがり、また空高く飛ぶのが好きで、遠心的になるが、聖書を描くときは題材の人物やエピソードに迫るかのように、求心的になる傾向があるように感じられた。

キリスト教的に形式化された旧約聖書と、ユダヤ人シャガールを通して知る旧約聖書は別物の感がある。

物語性が豊かなのだ。ギリシア神話と同じような描きかたで、厳然としたものを感じさせながらもユダヤ神話というムードがある。イエスの死後しばらくして(?)生まれたユダヤの歴史家フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』のうちの旧約時代篇がそうだ。

というより、シャガールはヨセフスのようなユダヤ人によって語られる旧約聖書に馴染んでいただろううから、連想させられるのは当然か。

版画作品でモノクロなのだが、人間も動物も素朴でありながら尊厳を感じさせられる厚みがあり、きりっとした表情。

 以下は、美術展でメモしたシャガールの言葉。

私にとって『聖書』を描くという行為は純粋に詩的なものを描き出すという点で、花束を描く行為とそう違っているわけではない。

 また解説にはこうあった。

ここで紹介する『聖書』は旧約聖書の物語集。ユダヤ人の家庭に生まれたシャガールにとって、最も身近であり重要なテーマのひとつです。〔……〕モーセに導かれたユダヤ人のエジプト脱出の物語は、第二次大戦中のユダヤ民族大虐殺を逃れるため、アメリカに亡命したシャガールの心を捉えたテーマです。

これは余談だが、バッグから手帳とボールペンを取り出してメモをとろうとすると、係の人が飛んできて、鉛筆を渡し、「ここでは鉛筆しか使えないことになっています。どうぞ、それをずっとお持ちください」といわれた。

美術展には何度となく行き、その度にメモをとってきたが、こういわれたのは初めてだった。鉛筆以外だと、落書きされたときに大変だからだろうか。念のために紙は自前のものでよいか尋ねると、それは構わないとのことだった。

ところで、わたしは昔からキリスト教における旧約聖書と新約聖書の関係を怪訝に思ってきたのだが、旧約聖書中最も威光を放つ人物はモーセだろう。そのモーセは紀元前13世紀頃の人とされる。

モーセはイスラエルの民を率いてエジプトを脱出した。そのころエジプトは第19王朝(紀元前1293年頃 - 紀元前1185年頃)のラムセス2世の時代だったと考えられている。そのころ中国は殷の時代。

何か語られようと、神話の域でしか考えられないこうした古い時代の物語がまるでイエスの時代のつい昨日であったかのように語られる異様さ。

イエスが亡くなったのは30年頃とされるが、同じ頃に生まれた前掲のユダヤの歴史家フラウィウス・ヨセフス(37年 - 100年頃)の著書は現代的といってもいいくらいの筆致なのだ。何しろモーセを描くのに、スピーチの手法を採り入れるくらいなのだから。

その頃、中国ではイエスの死を挟んで前漢から後漢の時代となった。イエスの時代はもう神話の時代と考えるには新しすぎるのだが、キリスト教では歴史が神話に、神話が歴史になっているような倒錯がある。 

話を「シャガール展」に戻すと、サーカスをテーマとしたものもよかった。以下は美術展でメモしたもの。

私には道化もアクロバットの役者も、みんな悲劇的なまでに人間らしい存在だと思われた。どこかで見た宗教画の中の人物によく似ているような気がした。

愛の性質も、宗教観も、個人の資質が大きく物をいうとはいえ、シャガールの場合、それらは当然ながらユダヤ教の懐から溢れ出たものといえるだろう。その愛も宗教観もキリスト教とはやはりどことなく異質なもので、純朴さが特徴的である。

キリスト教のそれは如何に崇高であっても、どこか作為的で、作り物めいた感じをどうしても受けてしまうのだ。

 付記:
ユダヤの神話:Wikipediaに、「イスラエル人たちが神と結んだ契約については繰り返し語られているが、申命記のそれはアッシリアが属国に結ばせた宗主権条約文と類似の構造を持つことが指摘されている。つまり、大国と属国との契約関係を、イスラエル人は神と自分達との契約に置き換えたのである」(「ユダヤの神話」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2013年6月7日 (金) 03:40 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org)とある。これは……。

最近シリア情勢が気にかかり、ネットニュースにへばりついている。パソコンで作業をすることが多いので(勿論家事もやっている。入浴も欠かさず。入浴ができるかどうかはわたしの健康のバロメーター)、ちょこちょこアクセスしてしまうのだ。

午後4時ごろもそうだった。ふとTopilo提携メディアサービスには「マリ・クレール スタイル」も入っていたと思い、アクセスしてみた(追記:該当のSeesaaブログは2014年7月3日に削除)。8月の記事を閲覧し終え、移動しようとしてもう少し前のほうに何か綺麗な気持ちにさせてくれるような記事がないだろうかと思った。

シリア情勢の記事にはきついものが多いから。で、過去記事を見ていったら、「貴婦人と一角獣」の記事があったのだ。4月の記事だった。

  • 中世美術の最高傑作「貴婦人と一角獣」

「貴婦人と一角獣」は中世後期に製作された連作タペストリーである。わたしは「マリ・クレール スタイル」のニュースにリンクした上の記事で、以下のように書いた。

キリスト教の異端カタリ派を出発点として、マグダラのマリア、グノーシスに興味を持つようになったわたしにとって、中世はやはり異端カタリ派の中世だ。

『ダ・ヴィンチ・コード』の参考文献の一冊として知られるマーガレット・スターバード『マグダラのマリアと聖杯』(和泉裕子訳、英知出版)にまる一章を割いて「貴婦人と一角獣」が採り上げられており、タペストリーの構図に秘められた謎が追究されている。マーガレット・スターバードは、マグダラのマリア研究の第一人者。

『マグダラのマリアと聖杯』でまる一章を割かれたのは、第七章で、以下のように始まっている。

西洋文明に見られる「聖婚」と「失われた花嫁」という二つのテーマに導かれて、本書は異端聖杯信仰の教義によって解明される可能性がある中世美術の謎を探求してきた。ここでぜひとも探求していきたい芸術作品のリストに加えなければならないものに、中世後期の遺物ともいうべき「一角獣」のタペストリーがある。なかでも『貴婦人と一角獣』と呼ばれる連帳のタペストリーは、カタリ教団の何らかの教義を示しているのではないかと言われてきた。この繊細で神秘的な名作の製作者は、アルビジョア派の異端的聖杯信仰に触発され――「花嫁」に敬意を表して――この構図をとったに違いない、そう私は確信している。 

このタペストリーのニュースを知ったのは、拙kindle本の無料キャンペーンが始まる1時間ほど前で、始そのとき、わたしはマグダラのマリアのことを考えていた。

キャンペーン中の『昼下がりのカタルシス』がマグダラのマリアをモチーフとしたものだからだ。マグ中断中の児童文学小説『不思議な接着剤』もマグダラのマリアをモチーフとしているが、その『接着剤』のためのリサーチで産み落とした作品が『昼下がりのカタルシス』だった。

昼下がりのカタルシス
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2020年9月20日の追記:

中世美術の最高傑作「貴婦人と一角獣」、日本で公開へ
2013年4月19日 13:17 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ フランス ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2939471

「貴婦人と一角獣」は15世紀ごろに制作された全6面の連作タペストリーで、仏パリ(Paris)のクリュニー中世美術館(Cluny Museum)が1882年から所蔵している。仏国外への貸し出しは極めてまれで、1973年から1年間、米ニューヨーク(New York)のメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art)に貸し出されたことがあるのみ。
…(略)…
 6面のタペストリーには貴婦人と一角獣を中心に、様々な動物が描かれている。うち5面は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の「5感」を表すとされているが、残る1面が何を意味するのかは、いまだ謎のままとなっている。

以下は、パブリックドメインの画像から。

The_lady_and_the_unicorn_Taste
「味覚」(Le goût)
La Dame à la licorne est une série de six tapisseries datant du XVe siècle, que l'on peut voir au musée national du Moyen Âge et illustrent des sens.
1484年から1500年の間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

The_Lady_and_the_unicorn_Desire
「我が唯一つの望みに」(À mon seul désir)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

古代ユダヤ、初期キリスト教の優れた研究家、秦剛平氏の本を読むたび、豊富な資料に裏付けられた斬新な内容に驚かされ、図書館にある秦氏の本はなるべく沢山読んでおきたいと思う。今読んでいる本は『描かれなかった十字架』。

描かれなかった十字架―初期キリスト教の光と闇
秦 剛平(著)
SBN-10 : 4791761928
ISBN-13 : 978-4791761920
出版社 : 青土社 (2005/5/1)

以下はアマゾンの内容紹介。

内容紹介

キリスト教の根底を問い直す、挑発的講義。ローマ地下墓所の壁画に隠されたメッセージ、聖書外典の語るマリアの真実、反ユダヤ主義とアンチキリストなど、キリスト教の正統教義には語られなかった興味深いテーマを、豊富な図版資料とともにわかりやすく解き明かす。著者は古代ユダヤ思想史と初期キリスト教世界を専門とし、国際的にも高い評価を得る研究者だが、ヨセフスなど当時のユダヤ文献の翻訳紹介、バートン・マックなどの新しい聖書学や死海文書研究の紹介、そしていま「七十人訳ギリシア聖書」の翻訳という大業で知られる。その根底には、キリスト教揺籃期の思想的・文化的・政治的背景を広くかつ丹念に読み解くことによって、キリスト教に深く根付いてしまった「排他の思想」(反ユダヤ主義等)をときほぐそうとする学問的動機がある。本書は、これまでの研究成果を、はじめて一般向けに説き起こしたもので、すでに多くの読者や評者から好評を得た待望の単著である。

2,000年前の歴史のパレスチナのガリラヤ地方に生きたひとりの人間イエス=歴史のイエスと、その歴史のイエスがキリストに格上げされた信仰のイエスとはまったく別のものと秦氏はいう。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を世に誕生した順にいえば、

  1. マルコ
  2. マタイ
  3. ルカ
  4. ヨハネ

となるそうだ。この順序に関しては、大学時代にキリスト教に関心を持った頃から知っていたので、わたしはマルコ福音書を最も素朴な、歴史のイエスに近い姿が描出されているのだろうと長いこと想像していた。

しかし、実際にはイエスの死からだいぶん経ってから、様々な資料を駆使して書かれているようだ。当時から著作権という感覚があれば――巻末に参考資料一覧でもあれば――事情は違っただろうと秦氏は述べられているが、本当にそう思う。

最近では五番目の福音書として、「トマスの福音書」を新約聖書に入れたらどうかという議論が欧米の研究者の間であるという。『描かれなかった十字架』は2005年に出ていて、まだそれが実現したというニュースは聴かない。聴けたら面白いのに……。

キリスト教界が一気に若返るのではないだろうか。いや、下手をすれば崩壊するかもしれないから、トマスの福音書」が新約聖書の仲間入りする日はなかなか来ないだろうと思う。

「トマスの福音書」とは、全部で114のイエスの語録を集めた語録集で、1945年にエジプトで発見された「ナグ・ハマディ写本」群に含まれていたものだ。

トマスによる福音書
ISBN-10 : 4061591495
ISBN-13 : 978-4061591493
出版社 : 講談社 (1994/11/2)

荒井献『トマスによる福音書』(講談社学術文庫、1994年)から、イエスの言葉を以下に引用。

シモン・ペテロが彼らに言った、「マリハムは私たちのもとから去った方がよい。女たちは命に値しないからである。イエスが言った、「見よ。私は彼女〔天国へ〕導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」
 マリハムとは、解説によると、マグダラのマリアのことだそうだ。この場面は、以下にノートをとった『マリア福音書』のペテロとマリアが出てくる生々しい場面と響き合う。
2009年12月19日
№34 ペトロとパウロについての私的疑問 ①『マリヤによる福音書』についての私的考察
https://etude-madeleine.blog.jp/archives/9404322.html 

それにしても、凄まじいばかりのペテロの女性蔑視ではないか。

イエスは別格としても、『マリア福音書』ではペテロとマリアをとりなすレビという男性が描かれているのだから、当時の男性の全部がそうであるわけではなかったのだろう。

現代にも、国籍を問わず、ペテロのような男はいくらでもいる。そのような男は、一体どこから生まれたと思っているのか不思議だ。木の股からでも生まれたと思っているのだろうか。男の子は小さいとき、母親にとって特に可愛らしく思える存在であることが多いようだ(そういう話をよく聴く)。

それなのに……全母親をげんなりさせそうなエピソードだ。

わたしは歴史のイエス、歴史のマグダラのマリアがどうであったかが知りたくて、リサーチを続けている。

そういえば、昨日の夕方、以下のniftyニュースを閲覧した。

世界のカトリック教徒数と有権枢機卿 - 速報:@niftyニュース、そのニュースから教徒総数、上位五カ国の推移を抜粋してみる。

1900年: 教徒総数2億6657万人
 ローマカトリック教会の歴史が始まったのはヨーロッパであり、1900年の段階でも全世界のカトリック教徒の67%超がヨーロッパ居住者だった。フランスは98%がカトリック教徒で、その数も最も多く4000万人。また、スペインとイタリアの国民も、ほぼ100%がカトリック教徒だった。上位5カ国は、フランス(15%)、イタリア(12%)、スペイン(7%)、ポーランド(7%)、ブラジル(6%)。

1970年: 教徒総数6億6499万人
 1970年には状況が大きく変わる。依然として教徒数が最も多い地域はヨーロッパだが、ラテンアメリカがほとんど肩を並べるようになる。世界のカトリック教徒人口のうち、両地域がそれぞれおよそ38%を占めていた。また、この時期になると、サハラ以南のアフリカ諸国でも着実に普及が進む。上位5カ国は、ブラジル(13%)、イタリア(8%)、フランス(7%)、メキシコ(7%)、アメリカ合衆国(7%)。

2010年: 教徒総数11億6786万人
 ヨーロッパのカトリック教徒数は2010年までに大幅に減少、世界の教徒人口に占める割合も24%を下回るようになった。一方、ラテンアメリカが最大の数を誇る地域となり、割合も41%に増加。アフリカでは、コンゴ民主共和国が最大のカトリック教国で、教徒数はおよそ3600万人、国民の半数以上を占めている。アジアではフィリピンが本家イタリアを上回り、世界の教徒人口の6%、トップ5に入るようになった。上位5カ国は、ブラジル(13%)、メキシコ(9%)、アメリカ合衆国(6%)、フィリピン(6%)、イタリア(5%)。

カトリック教徒は減少し続けているのかと思ったら、凄く増えている! ヨーロッパで大幅に減少しているのはなぜだろうか。移民が増えて、違う信仰を持つ人が増えたことも一因か?

しかし、思想的論争は新たなる段階を迎えているのかもしれない。従来のキリスト教とか仏教とかマルクスとかの上に、ニューエイジ運動がブームをつくった神智学系のものがのっかっている気がする。

というのも、現在の日本の児童文学界には、全共闘が入り込んだ日教組系左翼が目立つが(思想的劣化が激しいようだ)、ファンタジーブームを探るうちに、何とシュタイナーに辿り着いてしまったからだった。

2012年3月15日 (木)
瀕死の児童文学界 ⑥河合隼雄、工藤左千夫の著作を読む(1)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2012/03/post-dcd7.html

『鹿島市史真実の記録』(田中保善、平成2年)によると、祐徳稲荷神社の創建者、萬子媛は出家して19年、数え年80歳で余命幾ばくもないと悟られたとか。

寿蔵に入って座禅をし、外から岩の蓋をかぶせて貰い、禅定に入って大往生を遂げられたと伝えられる、あっぱれな大名の奥方だった。

念仏の声は岩の蓋の外まで、1週間以上も聴こえていたという。

萬子媛は黄檗宗(おうばくしゅう)の信者だった。ググったところ、黄檗宗とは、中国明末清初の禅宗の僧、隠元隆琦(1592-1673)によって日本に伝えられた、念仏禅を特徴とする明朝禅だそうだ。

わたしは若気の至りで自己流の断食を試み(とても危険なことであるから、絶対にしないほうがよい)、4日でギブアップした経験があるから、体の弱った状態で岩壁に籠もり、念仏を唱えながら死ぬまで断食を続けるという行為がどれほど壮絶なことであるのかが想像できる。

人間の体は食物がなくてもしばらくは何とかやっていけるに違いないが、水がないとだめで、わたしは断食を始めてしばらく経った頃、水分の不足から吐き気が止まらなくなった。吐く物はもう何もなくなっていのだが、腹部が怖ろしいほどに痙攣して、とにかく吐き気が止まらない。

このままでは死ぬと思ったので、吐き気を止めるために水を飲み、もう少し断食を続けた。

萬子媛には、そのような生理現象は起きなかったのだろうか。岩の外にまで声が聴こえたというから、ギブアップする気になれば、直ちに蓋は除けられたに違いない。

萬子媛がいくら筋金入りの尼さんだったとはいえ、外で成り行きを見守る人々は、どんなにハラハラしたことだろう。

亡くなったのは宝永2年(1705年)、4月10日だったという。

今年は2013年だから、萬子媛の大往生時から308年経っている。あの世で楽しく遊び暮らす(?)こともおできになっただろうに、創建者の努めとして、俗人の群れを300年以上も見守り続けるということをなさっているというわけだ。

究極のボランティア、としかいいようがない。

わたしは萬子媛があの世で具体的にどんな暮らしを送り、どのような見守りかたをなさっているのか――つまり、そのボランティア体制とか、期間の問題とかだが――神秘主義者として興味がわくところだ。

わたしは同じようにサント=ボームの岩山の洞窟内に30年籠もって悔い改めの修行生活を送り、そこで亡くなったと伝えられるマグダラのマリアを連想せざるをえない。

プロヴァンスに伝えられるこの話が本当だとしたら、マグダラのマリアもまた、そこを拠点として究極のボランティアを続けていらっしゃるのだろうか。

いずれにせよ、この両者、どこが違うというのだろう?

修行法、亡くなりかたはよく似ているし、その方々を慕ってご利益に与ろうとする俗人の群れ(わたしもその一人だが)にしても、たぶん性質は同じだ。

ましてや、過去記事で書いたように、おそらくイエスの愛弟子だったに違いないマグダラのマリアは、イエスがそうであったようにエッセネ派の影響を受けたことはほぼ間違いないと思われる。

このエッセネ派とはブラヴァツキーのリサーチによると、ピュタゴラス派で、死海の畔に居を構えていた仏教徒(プルニウス『博物誌』)の影響を受けたという。そして、その影響によって思想体系が完成されたというよりも、むしろ崩れていった。

№80 ピュタゴラスとエッセネ派の関係。貞節の勧告。 

https://etude-madeleine.blog.jp/archives/9067602.html

萬子媛は仏教徒であったが(稲荷大神を奉祀されていたのは、当時は自然なことであった神仏混淆のためである)、19世紀末にエジプトで発見されたパピルス写本『マリア福音書』など見ても仏教的ムードがあることからして、マグダラのマリアにも、エッセネ派などを通して仏教的な何らかの影響が及んでいたということも考えられる。

仏教の本質は神秘主義で、徹底した自力本願であるが、未熟であることを自覚する人間が徳のある方々を慕い、その徳に薫染したいと願うのは自然なことだと思う。徳のある方々は、この世にばかりいらっしゃるのではなくて、むしろあの世のほうにいらっしゃることをわたしは知っている(その逆のおぞましい存在もまた……)。

わたしは萬子媛の史跡(祐徳稲荷神社にある石壁神社)を訪ね、そこで萬子媛の高雅な存在感に触れ魅了された。マグダラのマリアの聖地も訪ねてみたいと思っているのだが、この懐の寒さでは今生では無理かもしれない。

マグダラのマリア伝説に触発されて執筆を始めた『不思議な接着剤』はマリアの聖地やカタリ派の里を訪ねずして書くのは難しく、中断中。


2020年9月18日の追記:
拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下の記事で詳述しているが、萬子媛が病死されたことはほぼ確実と思う。部分的に引用しておく。

89 祐徳稲荷神社参詣記 (9)萬子媛の病臥から死に至るまで:『鹿島藩日記 第二巻』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/11/22/004109

萬子媛が今なお生き生きとしてオーラの威光に満ち、神社という形式を最大限に活用して毎日あの世からこの世に通い、千手観音のようにボランティア集団の長として活動なさっていることがわたしにわかるくらいだから、神秘主義的感性に恵まれた人であればどなたにもわかることではないだろうか。

しかしながら、肉身としての萬子媛は宝永二年閏四月十二日(1705年6月1日)に逝去された。祐徳稲荷神社のオフィシャルサイトには、次のように書かれている。「齢80歳になられた宝永2年、石壁山山腹のこの場所に巌を穿ち寿蔵を築かせ、同年四月工事が完成するやここに安座して、断食の行を積みつつ邦家の安泰を祈願して入定(命を全うすること)されました」(祐徳稲荷神社「石壁社・水鏡」 < https://www.yutokusan.jp/sanpai/sekiheki.php >(2018年11月20日アクセス))

祐徳博物館の女性職員は、石壁社の解説にある寿蔵で萬子媛が断食の行を積まれたことは間違いないです――とご教示くださった。

そして、「萬子媛の死の経緯については、鹿島藩日記に書かれていると思います。ちょっとお待ちください」とおっしゃって、全五巻中、何巻にその記述があるか確認してくださった。

三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)に該当する記述があるということだったので、その巻を注文した。

萬子媛は、身体が弱ってからも、断食の行を続けられたのかどうか。断食の行が御老体に堪えたのかどうかもわからない。

いずれにしても、萬子媛(※鹿島藩日記 第二巻』では、萬子媛のことは一貫して「祐徳院様」と記されている)は宝永二年三月六日ごろにはお加減が悪かった。それからほぼ毎日、閏四月十日に「今夜五ツ時、祐徳院様御逝去之吉、外記(岡村へ、番助(田中)。石丸作左衛門より申来」(三好編纂,1979,p.398)と記されるまで、萬子媛の容体に関する記述が繰り返されている(『鹿島藩日記 第二巻』366~398頁)。

この「今夜五ツ時、祐徳院様御逝去之吉、外記(岡村へ、番助(田中)。石丸作左衛門より申来」という藩日記からの抜粋は、郷土史家の迎昭典氏からいただいた資料の中にあった。

『鹿島藩日記 第二巻』にははっきりと「御病気」という言葉が出てくるから、萬子媛が何らかの病気に罹られたことは間違いない。

そして、おそらくは「断橋和尚年譜」(井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)の中の断橋和尚の追悼詩に「末梢(最期)疑うらくはこれ熟眠し去るかと」(井上ほか編,2016,p.92)と描かれたように、一進一退を繰り返しながら、最期は昏睡状態に陥り、そのまま逝かれたのだろう。

鹿島市民図書館の学芸員は取材の中で「石壁亭そのものは祐徳院様が来る前から断橋和尚が既に作っていて、観音様を線刻したような何か黄檗宗の信仰の対象となっているようなところ――洞穴を、自らのお墓に定められたということだと思います」(※エッセー 88 「祐徳稲荷神社参詣記 (8)核心的な取材 其の壱(註あり)」参照)とおっしゃったが、現在の萬子媛の活動を考えると、観音様のようになることを一途に祈念しつつの断食行であり、死であったに違いない。

わたしは最近、№91で、禁書目録に触れた。

その記事を書いたとき、書店勤務の娘とその話をしていたのだった。娘は二人のイタリア人と電子メールによる文通をしていて、そのうちの一人はフィレンツェの書店主さん。イタリア語に訳された源氏物語などもお読みになる大変な読書家であり、演劇もなさっている。

娘は、その書店主さんとバルザックの著作について感想を交わしたりしたようだ。書店主さんは、バルザックがお好きだそうだ。

ウィキペディアによると、禁書目録とは「16世紀から20世紀の半ばまでカトリック教会によって作成された書物のリストで、カトリック教会と信徒に対して危険を及ぼすとみなされた書物が掲載された」。正式に廃止されたのは1966年である。わたしが1958年生まれであることから考えてみても、大昔の話というわけではない。

書店主さんは禁書目録に載っていたバルザックの著作を読むことに抵抗はないのだろうか――と娘とそんな話をしたのだったが、娘はフィレンツェの書店主さんにそれについて訊いてみたという。

返信によると、書店主さんにとって禁書目録は、今は昔という感覚だそうで、それについて日常的に意識することはないそうだ。そういわれると、昔はそんなことが行われていたっけ――という感じらしい。

書店主さんは、禁書目録が作成されていた頃の古い資料を見つけたといって、バルザックを悪魔主義と断じた文書の一部を写して娘に送ってくださった。

そういえば、ニュースによると、新ローマ法王選び「コンクラーベ」(法王選挙会)が12日始まったようだ。これは、約600年ぶりの法王生前退位という異例の事態を受けたものである。

映画『レ・ミゼラブル』を観たあと、改めてユーゴーの原作を三部まで斜め読みし(電子書籍の斜め読みって、案外きつい)、翻訳もすばらしいのだろうが、物語のスケールの大きさ、記述の細やかさ、文体の香気ある簡潔さに魅了された。

ただ、神秘主義者のわたしには人間性のみずみずしい描きかた、特に女性の崇高ともいえる精神性の描きかたから「これは異端書とされたに違いない」とぴんときた。バルザックにしても、わたしの感動するフランスの文学作品は大抵ローマ・カトリック教会の禁書目録に入っている。

以下はWikipediaより抜粋。

禁書目録 

ウィキペディアの執筆者,2013,「禁書目録」『ウィキペディア日本語版』,(2013年1月25日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A6%81%E6%9B%B8%E7%9B%AE%E9%8C%B2&oldid=45766306). 

禁書目録(きんしょもくろく、ラテン語:Index Librorum Prohibitorum)とは16世紀から20世紀の半ばまでカトリック教会によって作成された書物のリストで、カトリック教会と信徒に対して危険を及ぼすとみなされた書物が掲載された。 

禁書目録は1948年版まで作成された。これは第32版であり、4000の書籍があげられていた。 

禁書目録が公式に廃止されるのは1966年6月14日の教理省宣言(AAS 58, p.445)および同年11月15日の同省教令(同 p.1186)によってである. 時あたかも第2バチカン公会議が行われるなか、カトリック教会に残っていた多くの形式的習慣が廃止されたが、とくに1966年の11月の教令は、禁書目録規定違反が1917年教会法典2318条に謂わゆる「破門」の効果を有しないことを明言するに至った。しかしながら禁書目録に載るようなカトリック信仰を危うくする書物を積極的に読むことが推奨されているわけではなく、1975年3月19日の教令(AAS 67, pp.281-284)によって、1917年教会法典の禁書の条項が刷新され、現行の1983年の新教会法典第822条乃至第832条に明文化されている。 

外部リンク 
●Facsimile of the 1559 index
●Facsimile of a Spanish index librorum prohibitorum et expurgatorum - complete
The complete list of banned books in 1948
●List of famous authors in the index

上から3番目のリンク先へ行ってみた。カナダのオールドモントリオール大学のホームページ(?)。1948年版の禁書目録が紹介されているようだ。

Hugo, Victor Notre-Dame de Paris. 1834
Hugo, Victor Les misérables. 1864

やっぱり、あった。バルザック、アレクサンドル・デュマ、スタンダール、フローベール、ゾラなんかも仲良く(?)並んでいて、つい苦笑が洩れた。これじゃフランス文学、成り立たないわね。ローマ・カトリック的には。

パンを盗んだために罪人となったジャン・バルジャンは後にマドレーヌ市長と呼ばれるようになるが、マドレーヌといえば、マリー・マドレーヌ。つまり、マグダラのマリアを連想しないではいられないではないか。マリー・マドレーヌ派のキリスト教を広めようとしたともいわれる異端カタリ派の最後の拠点となったラングドックの地名も、作品には出てくる。

何しろ長大な作品なので、斜め読みでしか再読できていないため、全体も細部も把握できず。そのうち、ちゃんと再読したいところだ。

レ・ミゼラブル〔全4冊セット〕 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2003/9/9
ユーゴー (著), 豊島 与志雄 (翻訳)
ISBN-10 : 4002010163
ISBN-13 : 978-4002010168
出版社 : 岩波書店 (2003/9/9)

そういえば、ユーゴーの名、『レンヌ=ル=シャトーの謎』(柏書房)に出てこなかったっけ? と思い、本をめくってみたところ……やはり出てきた。

レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス)
マイケル ベイジェント (著), ヘンリー リンカーン (著), リチャード リー (著),  林 和彦 (翻訳)
ISBN-10 : 4760114432
ISBN-13 : 978-4760114436
出版社 : 柏書房 (1997/7/1)

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